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2 ナポレオン法典―いきなり夏の真っ盛り

ポルカが途切れると、翌日の夕方。
スタンリーはそのまま。ブランチは入浴中である。ステラはお出かけの支度。奥のベッドの上には、鮮やかな花柄のワンピースが広げられてある。
再び〈ブルーピアノ〉のやわらかな音色。

スタンリー:じゃあ、どうなるんだ? 俺のメシは?

ステラ:(部屋着を脱ぎながら)冷蔵庫のなかのを温めて食べてよ。

スタンリー:ヘッ、いい気なもんだ。

ステラ:あんたたちが麻雀してるところに、ブランチを置いときたくないのよ。

スタンリー:あの女は?

ステラ:入浴中。神経が休まるんだって、熱いお湯に浸かると。

スタンリー:なんだい、そりゃ?

ステラ:(着替える手が止まり)ねえ、大変だったのよ。

スタンリー:なにが?

ステラ:なくなっちゃったのよ、ベルリーブが。

スタンリー:なくなっちゃった?

ステラ:そうなの。

スタンリー:なぜ?

ステラ:どうしようもなかったのよ。しようがなかったの。(外出着を着始めて)なんか言ってあげてね、ブランチに。なんでもいいから、優しいことを。でも、子供のことは内緒よ。まだ、落ち着いてからと思ってるから。

スタンリー:ふーん。

ステラ:お願い。スタン。

ブランチの歌声が聞こえてくる。

ステラ:こんなアパートに住んでるなんて思ってなかったらしいの。アタシも手紙で、ちょっと見栄張っちゃったのがいけなかったんだけど。

スタンリー:ふーん。

ステラ:服をほめてあげて、きれいだって。大事なことなのよ、それが、ブランチには。バカバカしいんだけどね。

スタンリー:なるほど。話は戻るが、田舎の屋敷がなくなったって言ったな。

ステラ:ええ、そうよ。

スタンリー:どういう経緯か詳しく話せよ。

ステラ:ダメダメ。その話は。ブランチが落ち着くまで。

スタンリー:そうかいそうかい。そういう取り決めになってんだな。

ステラ:ゆうべのあの人、見たでしょ?

スタンリー:じゃあせめてもだ、売却証書でも見せてもらおうか。

ステラ:ないわ。そんなもの。

スタンリー:あるだろ、売ったんだったら。

ステラ:売ったんじゃないのかもしれない。

スタンリー:なんだそりゃ? じゃあ、慈善事業にでも寄付したっていうのか?

ステラ:もうおしまい! 聞こえるわ!

スタンリー:(聞こえるように)かまうもんか。見せてもらおうぜ、売却証書を!

ステラ:だから、知らないっていってるでしょ。私たちになんの関係があるのよ。そんなものが?

スタンリー:おまえ、ナポレオン法典って知ってるか?

ステラ:知らないわ。

スタンリー:じゃあ、教えてやるよ。

ステラ:…………

スタンリー:いいか。このルイジアナ州にはな、ナポレオン法典ってものがあるんだ。それによるとだ、妻の財産は、夫の財産にして、逆もまた然りってんだ。わかるか? 例えば、俺かおまえか、どちらかがどこかに土地でも持ってたとする、すると……

ステラ:もういいわ。頭が痛くなってきた。

スタンリー:よーし。じゃあ、風呂から出てきたら直接聞いてやる。

ステラ:ダメよ、今は。あの人壊れちゃう。

スタンリー:どうやらおまえは、自分の財産を騙し取られたらしい。

ステラ:バカみたい。

スタンリー:いいか、よく聞け。ナポレオン法典によればだ、妻が騙されたってことは、夫もまた騙されたってことになるんだ。そして、俺はだ、人に騙されるってのが、大嫌いなんだよ!

ステラ:くだらない。

スタンリー:そんなら、売った金は? どこにあるんだ?

ステラ:売ったんじゃないの。なくなったの。

スタンリー:(答えずにベッドの方へ歩いていく)

ステラ:スタンリー!(あとを追って)

スタンリー:よく見ろ! これが教師の給料で買えるようなものかどうか。(とブランチのトランクをひっくり返す)

ステラ:ちょっと、やめなさいよ。

スタンリー:見ろ。毛皮だらけだ。こういうのを着て歩いて、さんざ見せびらかそうってわけだ。なんだこりゃ?(と、ケバケバしいドレス)

ステラ:スタン!

スタンリー:まだある、見ろ。キツネだぜ。本物だ。しかもざっと半マイル。ステラ、おまえ、毛皮なんか持ってるか? こんなふさふさの雪みたいに白いの、持ってるか?

ステラ:みんな夏向きの安物よ。ブランチは昔から持ってたわ。

スタンリー:知り合いに毛皮のディーラーがいるから、そいつに値踏みさせてやる。賭けてもいい。ざっと数千ドルだ。

ステラ:バカみたい。

スタンリー:(さらにポーチをひっくり返し)真珠だよ! 真珠! 真珠だらけだ! いったいおまえの姉さんってのはどんな商売してたんだ? おまけに、金のブレスレット! 金に、真珠に、おまえだって欲しいだろ? え?

ステラ:いい加減にやめなさいよ。

スタンリー:ほら、あったぞ。ダイヤモンド! まるで女王陛下の冠だな、こりゃ。

ステラ:それは、ラインストーンよ。姉さんが仮装舞踏会でつけたの。

スタンリー:なんだ? ラインストーンって?

ステラ:模造ダイヤ。

スタンリー:フン。まあいいさ。知り合いにダイヤのディーラーもいるから、一緒に踏みさせてやるさ。

ステラ:(気配を察して)ホラ、戻ってくるわ! 閉めて!

スタンリー:(足蹴りにしてテーブルに戻る)とにかく、これがおまえの田舎の屋敷のなれの果てってわけだ。

ステラ:さあ、着替えるんだから。外に出てって!

スタンリー:いつからおまえは、俺に命令するようになったんだ?

ステラ:なに言ってんの、着替えるのよ。

スタンリー:嫌だね、こっちはあの女に用があるんだ。

ブランチ:(バスローブを羽織って出て来る)ああ、いいお湯だった。

ステラ、逃げるように出て行く。

ブランチ:あら……。スタンリー。どう? 私の湯上がり姿は? いい香りでしょう? まるで生まれ変わったような気分よ。

スタンリー:(煙草に火をつけて)いいねえ。

ブランチ:失礼して、着替えさせてもらうわ。

スタンリー:どうぞ。

ブランチ:(ベッドの近くまで来て、散乱状態に一瞬唖然とするが、花柄のワンピースを手に取って)どう、これ? 今日初めて着るの。可愛い?(さっと仕切りのカーテンを閉めて)ステラは?

スタンリー :外だよ。

ブランチ:そう。私のどが乾いちゃったわ……。

日が傾いていく。〈ブルーピアノ〉。

ブランチ:ちょっと、いいかしら?

スタンリー:なんだい?

ブランチ:背中のボタンをね、お願いしたいんだけど。こっちまで来ていただけないかしら?

スタンリー:いいとも。(カーテンを大きく開けて入って行く)

ブランチ:どう? わたし?

スタンリー:なかなかのもんだ。

ブランチ:そう? じゃあ、お願い。(と背中を向ける)

スタンリー:ダメだな。俺には無理だ。

ブランチ:……。そうよね。男の人の指って、太くて不器用だから。その煙草、一口もらえるかしら?

スタンリー:新しいのを吸えよ、ほら。(と箱ごと投げる)

ブランチ:ねえ、私のトランク、爆発しちゃったみたいなの。

スタンリー:こりゃすげえ。全部パリの高級店から盗んできたんだろう?

ブランチ:フフフ。服は私の命なの。

スタンリー:いくらぐらいするんだい? これとか?

ブランチ:あら、ここにあるのは全部、プレゼントよ。

スタンリー:へえ、そうかい。

ブランチ:そうよ。かつて私の魅力が、どれだけたくさんの男の人を惹きつけたかっていう証拠。どう? 今でも想像できて?

スタンリー:さあねえ。

ブランチ:なにそれ。気の利いたお世辞の一つくらい言えないの?

スタンリー:くだらない。

ブランチ:くだらない?

スタンリー:くだらないねえ。……いいか、世の中にはな、自分がきれいかどうか、ひとに言われるまで気がつかなかったわ、なんて女はいねえんだよ。うぬぼれたバカ女なら、腐るほどいるけどな。昔つき合ってた女で「アタシって、おっぱいおっきいでしょ。プルプル」っていうのがいたっけ。言ってやったよ。「それがどうした」って。

ブランチ:そしたら?

スタンリー:それで終わり。そいつ、ハマグリみたいに口をつぐんじまった。

ブランチ:それで、二人の仲は終わったのね。

スタンリー:くだらないお喋りが終わった。それだけさ。

ブランチ:まあ、シンプルなのね。それに大胆! きっと、あなたみたいな人を好きになったら女は苦労するわね。

スタンリー:だから?

ブランチ:あら、いいじゃない。私もどっちかっていえば、強くて大胆で、原始的なのが好みなの。ダメダメ。どっちつかずで優柔不断な男なんて。だから、ゆうべあなたを見たとき、「妹は最高の男を選んだわ」って思ったわ。本当よ。あなた以上の男はちょっと見つかりっこないって!

スタンリー:そういうのがくだらないって言ってるんだよ、俺は!

ブランチ:あああああ!

ステラの声:スタンリー? なにしてるの? いい加減出て来ないとブランチが着替えられないでしょ?

ブランチ:ねえ、ステラ! ドラッグストアでレモンコークを買って来てくれる? 氷をたくさん入れて。お願い、ステラ。

ステラ:……わかったわ。(去る)

ブランチ:立ち聞きしてたのね、あの子。かわいそうに……さあどうぞ、続けましょう。ミスターコワルスキー。もうふざけないわ。

スタンリー:いいか、このルイジアナ州にはな、ナポレオン法典ってものがあるんだ。それによれば、妻の財産は夫の財産にして、逆もまた然りってんだ。

ブランチ:まあ、貫禄たっぷり! 本物の裁判官みたいねえ。

と、使っていた化粧水をふいにスタンリーに吹きかける。スタンリー、それを奪って化粧台に叩きつける。

ブランチ:アハハハ。

スタンリー:どこにあるんだ? 書類は?

ブランチ:書類って?

スタンリー:ごちゃごちゃ書いてある、紙の束だ。

ブランチ:紙の束? そう言えば、私、最初の結婚記念日にカラフルな紙の束をもらったわ。

スタンリー:俺が言ってるのは、法律上の書類のことだ。ベルリーブに関する。

ブランチ:ああ、アレ……。アレなら、あったけど、でも、どこに行っちゃったのかしら?

スタンリー:トランクのなかにはなかった。

ブランチ:でも、私のものはみんなトランクの中なのよ。

スタンリー:じゃあ、もう一度探すさ。(とトランクに近づく)

ブランチ:ちょっと、あんた! バカじゃないの? 私がステラを騙してるとでも思ってるの? 触らないで。私が自分で探します。その方が早いわ。(と、トランクからブリキの箱を取り出し)書類関係はみんなこのなかよ。

スタンリー:(トランクのなかの別の紙束を指して)これはなんだよ?

ブランチ:ラブレターよ。もうずっと昔の古いもの。

スタンリー:ふうん。(と拾い上げる)

ブランチ:触らないで!

スタンリー:おおっと、まずは、こいつから調べさせてもらおう。

ブランチ:あんたなんかに、触られたくないわ!

スタンリー:なに純情ぶってんだよ! いい年こいて!

奪い合う間から手紙がサラサラと落ちていく……。
間。

ブランチ:ぜんぶ焼き捨てます。あなたが手を触れたものは、ぜんぶ。

スタンリー:(手に残った一枚を見て)なんだこりゃ?

ブランチ:(拾い集めながら)詩よ。死んだ男の子が書いた詩。その子の心を、私は傷つけたのよ……。今のあなたみたいに。

スタンリー:焼き捨てるって? どういうことだよ?

ブランチ:もういいわ。(と、あらためてブリキの箱を持って座り、書類を一つ一つ見ながら)ええっと、アンブラー・アンナンブラー、アンブラー・アンナンブラー、……クラブトリー……アンブラー・アン……

スタンリー:なんだよ? そのアンブラーなんとかって?

ブランチ:最後に家を抵当に入れて、お金を借りた会社。

スタンリー:やっぱり借金して取られたんじゃねえか。

ブランチ:そういうことでしょ、きっと。

スタンリー:まだほかにもあるんじゃねえかあ? 出せよ、おい?

ブランチ:どうぞ!(ドンッと、箱ごとスタンリーに渡して)まだいくらだってあるわよ。そんなものなら、何千枚だって! 祖父から、父から、兄弟から親戚から、みんなしてベルリーブを食いつぶして、女を買い漁った、スケベな男たちの叙事詩よ。バカみたい! それで、最後に残ったのが、屋敷とほんの二十エーカーの土地とお墓だけ。私とステラ以外は、今じゃあみんなその墓のなか……。全部、あなたに進呈します。ぜひ熟読して暗記してもらいたいものだわ。……あの子ったら、どこまでレモンコークを買いに行ったのかしら?

スタンリー:知り合いに弁護士がいるんだ、調べてもらうさ。

ブランチ:だったら、アスピリンも一箱、添えて渡すことね。

スタンリー:いいか、ナポレオン法典によればだ、夫は妻の財産を管理する義務があるんだ。特にこの、子供が生まれようってときにはな。

ブランチ:ええ?

〈ブルーピアノ〉が高鳴る。

ブランチ:まあ、ステラ!(駆け出す)

ステラが角を回って現れる。

ブランチ:ステラ! ステラ! わたしのお星様!(と、ステラを抱き締めてお腹を触り)なんてすばらしいの!

ステラ:どうしたの、ブランチ?

ブランチ:大丈夫! うまくやれたと思うわ。なにを言われようが、全部冗談にして笑い飛ばしてやったわ! バカじゃないの? あんたって! 本気になったのよ、私たち。まるで恋人同士みたいに! 

ステラ:単純なのよ、あの人って。

ブランチ:そう、それでジャスミンの香水なんかにはてんで興味がないの。でも、ああいう単純な遺伝子が必要なのかもしれないわ……。ベルリーブなしで、守ってくれるものなしで、まだ生きていかなきゃいけないわたしたちには……。

ステラ:そうね。

ブランチ:(夜空を見上げ)ロケットに乗ってあそこまで飛んでいけたらなあ……。ねえ。

ステラ、そしたら、こんな世界とはさよならよ。

ステラ:行きましょう! ブランチ。

ブランチ:どこへ? わたしたち、どこへ行くの?

ステラ:どこでもいいわ。とにかく、上を向いて!

ブランチ:めくらとめくらが手を取り合って!

ふたり闇のなかに消える。

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