Scene1 , 2 , 3 , 4 , 5 , 6 , 7 , 8 , 9 , 10 , 11

作:テネシー・ウィリアムズ
Tennessee Williams

登場人物

ブランチ
スタンリー/看護婦
ステラ
ミッチ/医者

新聞集金の少年
花売りの女

〈ブルーピアノ〉奏者

時:一九四七年の初夏から盛夏をへて初秋まで。
あるいは《欲望》から《墓場》をへて《天国》まで。

場所:アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ市の貧民街
L&N鉄道とミシシッピ川に挟まれて走っている《天国》通り
その《天国》通りに面した小さなアパート

1 猫のいる《天国》/ 夏の始まり

黄昏れ時。部屋のなかは暗い。初夏の風に乗って、《欲望》電車が通り過ぎる。角のバーからは黒人たちの喧噪。猫の鳴き声。

気がつくと、ブランチが、旅行トランクを下げて立っている。
まるで避暑地の別荘から帰って来たような、豪奢ないでたち。つまりは場違いな風情。強過ぎる光を避けているような、おぼつかないような物腰が一匹の蛾を思わせる。ハガキを一枚を取り出して――

ブランチ:(読み上げる)「《天国》へのアクセスポイント。あなたがどこにいようと構いません。今すぐその場から《欲望》という名の電車に乗りなさい。気がつけば《墓場》という名の電車に乗り換えていることでしょう。そしたら、さらに、六つ目の――」

〈ブルーピアノ〉。顔を上げる。あたりを見回すと、雲間から月明かり。貧相で乱雑な部屋の様相が浮かび上がってくる。

ブランチ:間違えたんだわ、きっと。(と、ハンカチで鼻を押さえる)

臭いのだ。恐る恐る部屋のなかを歩き出す。試しに戸棚を開けると、中にウィスキーの瓶。グラスに半分ほど注ぎ、一気に!

ブランチ:ふう! ……でも、どこで? どこで間違えたのかしら?

猫の鳴き声:ミャアアア!

ブランチ:(驚いて)ああ! なによ?

ステラが建物の角を回って現れる。   

ステラ:ブランチ!

ブランチ:おっとっと(慌てて瓶を元の戸棚に戻す)

ステラ:(ドアから入ってきて)ブランチ……!?(明かりをつける)

煌々たる電球の明かりの下で、見つめ合う二人。

ブランチ:ステラ……。

と、駆け寄って抱き締めて、

ブランチ:ああ! ステラ! ステラ! 私のお星様! ほら、顔を見せなさい……ダメよ。あなたは見ちゃ。(とまた抱き締める)

ステラ:ちょっと、ブランチ?(と、離れようとする)

ブランチ:ああ! ダメダメ。あとでね。お風呂に入ってからよ。

ステラ:ブランチ!

ブランチ:じゃあ、明かりを消して。お願い。明るいと恥ずかしいでしょう?

ステラ:なあに? もお。(電気を消す)

再び、暗い部屋。

ブランチ:さあ。もう一度。ステラ!(と、また抱き合って)かわいい子。私のお星様! 私、どうしようかと思っちゃった。こんな惨めったらしいところで。あなたはいないし……、あ。でも、ちょっと汚いだけで、駅は近いしけっこう便利かもね? なんちゃって! アハハハ。なんか言いなさいよ。

ステラ:言えないわ。喋る隙間がないんだもの。

ブランチ:じゃあ、ハイ。(と手を放し)あなたの番よ。なにか話して。その、キュートなお口で。私はそのあいだに、お酒でも……(と、辺りを探し始め)、あるんでしょ? 隠したってダメよ。あるはずよ。どこかしら? ええっと、そうねえ……。(と、さっきの戸棚を開け)ホラ、あった! どう? ちょっとしたもんでしょ?

と、瓶を持った手が震え出し、危うく落としそうになる。

ブランチ:ああ……。

ステラ:アタシがやるから。座ってて。(と、瓶を取り上げて)なにかで割った方がいいでしょ? 確かコーラがあったと思うんだけど……

ブランチ:いらないわ、コーラなんか。甘ったるくって。ねえ、どこにいるの? あなたの、その……

ステラ:スタンリーならボーリング。夢中なのよ。あ、ソーダがあったわ。(とキッチンへ)

ブランチ:水だけあればいいのよ。(と、瓶を奪い返し)なあに、その顔? 大丈夫よ。アル中なんかじゃないわ。ただちょっと疲れて、暑くって。気持ちをシャンとしたいだけなの。ほら、もういいから、座って。さあ、話してちょうだい。

電車が行き過ぎる。ふたり座る。

ブランチ:あなた、こんなところで、毎日なにをしてるの? 

ステラ:……ねえ、ブランチ。

ブランチ:ダメダメ。言いたいことを言いなさい。正直に思っていることを。私も言うから。いい? ステラ。正直に言って、この家は呪われてるわ。まるでポーよ! エドガー・アラン・ポーの世界よ! あの窓の向こうには、きっと屍肉を食らうケダモノたちの住処が広がっているんだわ!

ステラ:なに言ってるの? あれはL&N鉄道だわ。

ブランチ:アハハハ。真面目になりましょ。冗談よ。でも、あなた、よくこんなところで暮らせるわね。

ステラ:他と比べればまだマシなのよ。ニューオーリンズには、もっとずっとひどいところがいっぱいあるわ。

ブランチ:ニューオーリンズは関係ないでしょ? あなた自身の問題じゃない。……いいわ、やめましょう。この話は。(と、震えるグラスを見つめて)ちっとも嬉しそうじゃないのね、あなた?

ステラ:そんなことないわ。

ブランチ:ねえ、どうして聞かないの? 私が、なぜここに来たのか。夏休みでもないのに、学校を抜け出して。

ステラ:聞く前に、自分から言うと思ってたから。

ブランチ:クビになったって思ったんでしょ?

ステラ:そうじゃないわ。姉さんのことだから、きっと自分から辞めたんでしょ?

ブランチ:そうよ。……自分でも、愚かだとは思うけど、でも耐えきれなかったのよ。

電車が行き過ぎる。

ブランチ:いろんなことで疲れてしまって、もう少しで気が狂いそうだったわ。(と、煙草でトントンとテーブルを叩き)それでね、校長からも休暇を勧められて……そんな細かいこと、電報じゃ伝えられないでしょ。(と、一気に飲み干し)ああ、おいしい。生き返る心地。

ステラ:もう一杯、飲む?

ブランチ:いいのいいの。一杯が限界。

ステラ:ホントに?

ブランチ:ねえ。私、どう?(と、立ち上がり)あなたなんにも言ってくれないのね。

ステラ:きれいよ。

ブランチ:ホント? でも明るいところに出るともうダメ。無惨なものよ。……あなたは? 少し太った? ぽっちゃりしちゃって、ウズラみたいね。

ステラ:やめてよ。ブランチ。

ブランチ:あら、似合ってるわよ。いい感じ。ただちょっと、ウエストのあたりが心配だけど。立ってごらんなさい!

ステラ:いいわよ。今、そんなこと。

ブランチ:聞こえなかったの? 私は立ちなさいって言ったのよ!

ステラ:(嫌々ながら立つ)

ブランチ:(検査するように)まあ、しようのない子ね。こんな可愛いレースの襟にシミをつけたりして! それから、もっと短くて軽い方がステキなのよ、あなたの髪は。上品な、いい顔立ちをしてるんだから。……どうしたの? なに黙ってるの? そうやって黙ってると、聖歌隊の天使みたいね。

ステラ:アタシには姉さんみたいなエネルギーはないのよ。

ブランチ:私にはあなたみたいに自分を抑える力がないわ。

ステラ:…………

ブランチ:もう一杯もらおうかしら? (と、グラスに注ぎ)ね。コレでおしまい。

電車が通り過ぎる。

ブランチ:わたしは全然変わってないのよ。この十年。あなたがベルリーブを出てった、あの夏から、ずっと。パパが死んで、あなたが出て行った、あの夏から……。

ステラ:ええ、変わってないわ。

ブランチ:でもわかってる。もう、そんなに若くもない。

ステラ:変わってないわ、どこも。

ブランチ:この家、二部屋だけなの?

ステラ:あとバスルームがあるけど。

ブランチ:そう。じゃあ、私はどこに寝たらいいの?

ステラ:(奥へ)こっちがいいと思うんだけど。

ブランチ:ここ? このベッド? 折り畳み式でしょコレって?(と、座り)

ステラ:……どう?

ブランチ:いいわ。柔らかすぎるのも体によくないから。でも、仕切りもなくて、大丈夫? こっちとあっちの間に。

ステラ:大丈夫よ。

ブランチ:スタンリーは、気にしないの?

ステラ:あの人は、だってポーランド人だから。

ブランチ:それって、アイルランド人みたいだってこと?

ステラ:……あのねえ、ブランチ。

ブランチ:つまり、あまり知的じゃないってことでしょ。わかってるわよ。フフフ。私ね、お気に入りの服、全部持って来ちゃったの。あなたのステキなお友達に会えるんだと思って!

ステラ:……ステキだといいけど。

ブランチ:本音を言えば、あなたは私にホテルに泊まって欲しい、でしょ? でも嫌なの、私は。あなたのそばにいたいのよ。独りになりたくないの。だって、もう気づいていると思うけど、良くないの、体調が……。

ステラ:そうね。疲れてるみたい。休んだ方がいいわ。

ブランチ:うまくやっていけるかしら、スタンリーと?

ステラ:やれるわ。……だけど、ブランチ、言っとくけど、あの人を、ベルリーブでつき合ってた人たちと比べたりしちゃダメよ。

ブランチ:それはなぜ?

電車が通り過ぎる。

ブランチ:(棚の上のスタンリーの写真を見て)これ、そう? 将校だったの?

ステラ:工兵隊の曹長。それはみんな勲章なの。

ブランチ:こんなのいっぱいつけてたんでしょ? 初めて会ったときにも。

ステラ:そうよ。でも、そんなものに惹かれたんじゃないわ。

ブランチ:あら、ステキじゃない。

ステラ:もちろんあとになってから、わかったこともいっぱいあったけど。

ブランチ:ねえ、私が来るって聞いて、彼どんな顔してた?

ステラ:まだ話してないの。

ブランチ:話してないの?

ステラ:帰って来ないことが多くって。

ブランチ:旅行かなにか?

ステラ:うん……(座る)

ブランチ:いいじゃない。それくらい。

ステラ:…………

ブランチ:ねえ、ステラ。(座る)

ステラ:アタシ、あの人が一週間もいないと気が狂いそうになるの。

ブランチ:…………

ステラ:それで帰ってくると、膝にすがりついて泣いちゃうの。子供みたいに。

ブランチ:ステラ。あなたのことはもう何も聞かないわ。聞かれたくないこともあるでしょうから。……でもね、私はあなたに言わなくちゃならないことがあるの。

ステラ:なに?

ブランチ:わざと黙ってたわけじゃないの。……でも、あなた、きっと私を責めるわ。

ステラ:なに? なによ?

ブランチ:でもね、いい、思い出して。あなたは逃げたでしょ。私は残って戦ったのよ。あなたがニューオーリンズで自分のことだけ考えているあいだ、私は残って、耐えてきたのよ。あなたを責めるつもりはないけど、でも、突然なにもかもがいっぺんに私の肩にかかってきたのよ!

ステラ:アタシはアタシの生活のことで精一杯だったわ。

ブランチ:わかってる。わかってるわ。だけど、私はひとりだったのよ。ひとりで戦ったのよ! 血を流して、死ぬ思いで!

ステラ:わめかないで。ちゃんと話して。なにがあったの? ねえ!

ブランチ:そうよね。あなたにはわからないわよね……。

ステラ:なに? なんなの?

ブランチ:……もうないのよ。

ステラ:ないって?

ブランチ:ないのよ、ベルリーブは。

間。電車が通り過ぎる。〈ブルーピアノ〉が高まる。

ステラ:どうして? なにがあったの?

ブランチ:なにがあったの? よくそんなことが聞けるわね!

ステラ:ブランチ!

ブランチ:みんな死んだのよ、パパもママもマーガレットも。マーガレットなんて悲惨だったわ、太り過ぎちゃってお棺に入らないのよ。だからゴミみたいに燃やされて。あなたは、お葬式に来ただけでしょ。お葬式はきれいよ。でも、死は違う。お葬式は静かだけど、死は違うわ。重苦しい息遣いや、うめき声や、「死にたくないよお」っていう叫び声に、毎晩毎晩、おびやかされるのよ。ヨボヨボになったジジイやババアだって、死にたくないのは一緒なのよ。でも、どうすればいいの? どう答えれば? 血を吐きながらベッドのなかで叫ぶ声に。惨めよ。想像もできないでしょう? あなたには。それがえんえんと、最後の最期まで続くのよ。

ステラ:…………

ブランチ:じゃあ、あなたはいくらかかると思ってるの? 治療代やら葬式代やら。安くないのよ、人の死は。お金がかかるのよ。ステラ。マーガレットのあと、ジェシーも死んだわ。死に取り憑かれてたのね、あの家は。なのに、だれが遺産を残してくれた? 保険でも残して死んでくれた人がいた? ジェシーだけは棺桶代を自分で出して逝ったわ。でもそれだけ。私は学校の給料がやっと。なのに、あなたはいいわねえ。どこにいたの? ベッドのなか? ポーランド人と?

ステラ:(立ち上がる)

ブランチ:どうしたの?

ステラ:顔を洗ってくる。

ブランチ:泣いてるの?

ステラ:泣いちゃおかしい?(去る)

電車の代わりに、騒然とした、ケモノじみた咆哮が部屋を横切っていく。
やがて、スタンリーが角を回って現れる。

ブランチ:スタンリーね。

スタンリー:ステラの、姉さん?

ブランチ:ええ、そうよ。

スタンリー:ウチの奴はどこだよ?

ブランチ:バスルーム。

スタンリー:フン。来るなんて聞いてなかったな。

ブランチ:あのね……

スタンリー:まあ、いいさ。どっから来たの?

ブランチ:ローレルよ。

スタンリー:ローレル。そういやあ、そう言ってたっけかな。(と、戸棚のウィスキーを出して)あそこらへんは、よくわからねえんだよ。管轄外なんだ、俺の。どう? 一杯? なんだ? 酒の減りが早えな、こう暑いと。

ランチ:いいえ、結構。めったに飲まないの。
スタンリー:なんて、言ってる奴ほど、その実、飲むと始末におえないってな、フフフ。

ブランチ:アハハハ。

スタンリー:汗でベトベトだ。脱いでもいいかい?

ブランチ:ええ、どうぞ、おかまいなく。

スタンリー:(服を着替えながら)あんた、学校の先生だってな?

ブランチ:そうよ。

スタンリー:なに教えてるの?

ブランチ:英文学。

スタンリー:英文学! 苦手だったなあ、エー文学は。で、いつまでいる気なの?

ブランチ:さあ、まだわからないわ。

スタンリー:ここに泊まるんだろう?

ブランチ:もしよければ、そうさせていただこうと思って。

スタンリー:ふーん。

ブランチ:旅行って苦手なの。疲れるでしょ?

スタンリー:かまわないさ。

猫の鳴き声:ミャアアア!

ブランチ:ああ! ……まあ、なにかしら。

スタンリー:猫だよ、猫。ミャアアアー! おい! ステラ!

ステラの声:……なに?

スタンリー:なにやってんだ? 便器に落っこちまったんじゃねえだろうな!

電車が通り過ぎる。

スタンリー:どうも、嫌われたらしいな。あんたのことは聞いてるよ。結婚してるんだろ? 一度?

遠くから、ポルカが聞こえてくる!

ブランチ:ええ、そう。まだ、若いころに……。

スタンリー:それで? どうなっちゃったの?

ブランチ:死んだのよ、その子は……。ああ、最悪の気分!

ポルカが高鳴って、やがて暗くなっていく。

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