夏目先生の死から、1年の婚約期間を経て、文さんと結婚してすぐ「地獄変」を書くまでの時期の芥川の手紙を読む。
編集の丁寧さもあって、しだいに一つの物語を読むように、芥川の心の推移がわかってくる。
人の手紙を読むと云うのはのぞき趣味もあるが、虚構と真実のあわいがなんとも僕に心地いい。
芥川は、私小説の上手さにおいて志賀直哉へのコムプレックスを持っていた。小説よりもあなた本人のほうが魅力的ですね、というような云われようがとても怖かったのだが、手紙では形式への美意識が薄らいでいるから、小説よりもよぽっど正直に地が出ているのだが、それでもやはり虚構の部分がある(ように感得される)。それは書く人向けに巧みに文体を(ということは自己を)変えていることからもわかる。
中でも婚約時期の文さんへの手紙はとても微笑ましい。子供へ向けて書くように、少し宮沢賢治の文体を思わせ、ゆくりと慎重に進むのだ。
文ちやん もう十一時すぎだが、奮発してこの手紙を書きます(1917.9.28)
文ちやん 先だっては田端の方へ御手紙を有難う 皆よろこんでいました(1917.10.9)
拝啓 今夜は色々御馳走になりました おかあさまによろしく 御礼を申上げてください 汽車に乗りながら ちょいちょい文ちやんの事を思ひ出して、横須賀へ着くまで、非常に幸福でした(1917.11.6)
ある種のやさしい気の使い方にあふれている、ザックバランにというのとは違うのだが。
二人きりでいつまでもいつまでも話していたい気がします さうしてKissしてもいいでせう いやならよします この頃ボクは文ちやんがお菓子なら頭から食べてしまいたい位可愛い気がします 嘘ぢゃありません 文ちやんがボクを愛してくれるよりか二倍も三倍もボクの方が愛しているやうな気がします
何よりも早く一しょになつて仲よく暮しませう さうしてそれを楽しみに力強く生きませう これでやめます(1917.11.17)
実際は約束をしてから結婚まで2年近くあった。その間、なんどもなんども「早く一しょになつて仲よく暮しませう」をくり返している。これが、あの芥川の文章か?というと死んだ本人も嫌だろうけど、多少の受け取る相手への配慮と計算もあってのことだろうが、事実この時期、神奈川の海軍で英語を教鞭していた彼の心のテンポはどこかこんな感じなのだ。すごく可愛い。
そうして、他人の奥さんにいやに興味を持ちつつ、上の手紙の一か月後の手紙には、こんな手紙もある。
どうもウハキ(浮気)をしているやうな気がしてくだらなくつていやだ 来年はベンキョウしたい 僕は最近横須賀の芸者に惚れられたよ それを小説に書かうかと思ったが天下に紅涙を流す人が多いからやめにした(1917.12.14 松岡譲宛て)
いや、でもこれも可愛いな、微笑ましい。結婚前の男子の動揺と考えれば。
気になるのは、これらと同じ時期に親友の作家、久米正雄に起きた事件である。手紙からは事件の詳細はわからぬのだが、芥川もこれには大きく動揺している。
ここに二人の許嫁の男女がある さうしてそれが如何なる点でも幸福だったとする その時その許嫁の男がこんど久米の書いたやうな小説を書いたとする――としてもその間には何の波瀾も起らなくはないだらうか だから久米のあれを発表したと云う事は周囲とかフィアンセとかに対する目があいてゐないと云う愚によるのだ が、周囲は存外わかってゐたかも知れない 同時にそれ丈フィアンセに対しては盲目同様ぢやなかつたらうか こんな考へ方をするとあいつが気の毒になつて来る
(中略)
何か変動が起るかも知れないし又起りさうだがその原因はやつぱり自然に背いた罰だと思ふ どうもあの事を考へるとへんに不安にあつていけない(1917.11.1 松岡譲宛て)
この時期の芥川の一番のフランクな手紙相手はこの松岡である。
この久米の書いた小説がどういうものだったのか、そして久米自身のどんなことが起こったのかは分からない。推測されるのは、「自然に背いた罰」という表現から漱石の『それから』を思い出すコト。つまり夫ある女性とのカンケイである。当時は姦通罪として、告訴されれば拘留される重罪であったから。実際に若い頃の北原白秋は留置所に入れられているし、有島武郎はそれを苦にして心中しているのだ。
僕がこのことを気にするのは、後年、結婚後に芥川自身がどうもこの「姦通」を犯しているらしく、そのことを切実に悩んでいたようだからである。
自殺後に発見された手記の一つ「闇中問答」にはこうある――
或声 しかしお前のしたことは人間らしさを具えている。
僕 最も人間らしいことは同時にまた動物らしいことだ。
或声 お前のしたことは悪いことではない。お前はただ現代の社会制度に苦しんでいるのだ。
僕 社会制度は変わったとしても、僕の行為は何人かの人を不幸にするに極まっている。
或声 しかしお前は正直だ。お前は何ごともあらわれないうちにお前の愛している女の夫へ一切の事情を打ち明けてしまった。
僕 それも嘘だ。僕は打ち明けずにはいられない気もちになるまでは打ち明けなかった。
或声 お前は愛のために苦しんでいるのだ。
僕 愛のために? 文学青年じみたお世辞は好い加減にしろ。僕はただ情事に躓いただけだ。
芥川の最後に、その心のうちには罪の意識というものがあった、と僕は考えている。社会の不安、芸術上の不安、加えて、人生(家庭生活)の不安もあったと考えている。彼はじつは、誰よりも「美しい人生」というものを切望し、そしてそれを諦めたのでないかと。
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