「BASH」をふたたび見る。
田中康夫が圧倒的に勝利する。
ロナウドが移籍する。
中田、初アシストする。
タマちゃん、行方知れず。
で、明日から、ケイコの日々だぜ! フフフ。
以上、最近気になったコト。
で、せっかくだから、田中康夫について、語ろう。
語ろう。語ろう。というのが、彼の選挙手法であり、政治手法だったので、「対話!」とかいった、相手候補の批判的な表現がとても不自然に、長野県民には思えたのだろう。
とにかく、田中氏が再選したという事実は、喜ぶべきことだ。
ニホンが変わるための積極的な可能性が消えずにすんだから。うまくいくかどうか、は、まあ、わからないけど、彼にしか可能性はなかったと思う。
とにかく、これは、国民的な事件だったことは間違いない。
政治=経済or景気の仕事という、固定観念が古いのだと思う。
ボランティア、NGOというような利益を追求しない団体が、なぜ存続できているのか、そういうコトが現代なのだ。まあ、少しだけ、劇団も同じだけど……。でも、劇団は90年代からこっちで、あらかた解体されてしまった……。その一番の原因は、東京に基盤を老いていたからだったと思うけどね……。
マキャベリズムとか、独裁とか、ということは、無視できない政治の問題だと思うんだよね。民意はいつも正しいとはかぎらないからね。議会はもっと怪しいし。一人の強烈な理念が全体を引っ張るなんて、絶対的な独裁はもちろん、今はありえない。あってはならない、とは思わないけど。
まあ、ありえないよな。
しかし、ニホンもこれからどうなるか、これまでの戦後社会は、たしかに、「繁栄」を享受してきたけど、それは、ヒジョーに厳格な「経済倫理」なるもの(「会社奉仕」「滅私奉公」「参勤交代」え?)にしたがって、お父さんたちが頑張ってきたからで、まるで、モルモン教徒のように、日本人は厳格だったと思うんだけど、それはもう、望めないよね。
でも、ボクらは、そういうオヤジたちのみじめな姿を見て育っているからね。あんなの、とても尊敬できないって思ってるからね。
だから、「オヤジ」は現代のいちばんのキーワードさ。
問題は、どうやって、「オヤジ」を乗り越えるか、だ?
ちなみに、「オヤジ」の対義語は「女子高生」あるいは「コギャル」で、「オヤジ」が消えれば、「コギャル」も消えるね。間違いなく。
「オヤジ」が持っているのは金と権力で、「コギャル」が持っているのが若さ、ってコト。その歳であれば、誰でも持てる程度の、ね……。にかかわらず、その歳でなければとても持てないモノ、だ。
(それくらい、現代のニホンは偏っていて、ゆがんでいると思う)
「オバサン」というのは、もう「女」じゃないってコトが共通理解。
「若い男」というのは、ゴマンといるってコトが共通理解。
じゃ、自分て何?
「女」とか「男」とかって、自己実現のコンセプトじゃないんだ、もう、男の子にとっても、女の子にとっても。
女の子にとっては、「女」というのは、20歳過ぎれば、もはやあとはドンドンなくなっていくような要素だし、
男の子にとっては、いくら頑張っても「男」になれるようなポストや余地が、社会にはもうないように思えるんだよね。頭打ちって感じで。
だめじゃん、こんな社会!
って、とりあえず、田中康夫は言ってるんだ。
そういうところは共感できるね。少なくとも……。
まあ、とりとめがなくなっちゃったけど、
「女」とか「男」とか、という欲望の水路が、とても狭いものになっちまっていて、そこだけだと、とても自分が生きられないっていうのが現代(のニホン)なんだよね。
ところで、ボクは男なんだろうか?
そんなふうに考えてみるのも不自然ではない……。
オチンチンが秋風に揺れているぜ……。(これはウチの犬の話)
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