すずしい夜。てきめん、ウチの犬が元気である。
原産はメキシコの古代文明のクセに、ぜんぜん暑さに弱いチワワ犬は、この夏、ほとんどヘロヘロ状態であった。年齢のせいもあったであろう。ボクのベッドに乗っかってくるのも一苦労で、ときどき、乗れない自分にショゲていたくらいである。
それが、とたんに元気。イキイキ。お尻をフリフリ、タオルにおちんちんをこすりつけている。やれやれ。
というわけで、秋風の気配もチロホロという頃、時間の進むのもあっというま、人間にとってはがぜん早いもので、3月の「A・R」はもちろんのこと、この秋の2つの企画も依然、形になるのか、形にならないのか、揺れ動いている。
とはいえ、世間の話題では、気になる、長野知事選。
こんなコラムを見つけた。
――で、田中氏はポピュリズム(単なる人気取り)なのか。14日夜、長野市に近い牟礼村での田中氏の車座集会をのぞくと、村民が大勢集まって田中氏との間で質疑をしていた。市町村合併、開発公団の財政赤字、JR在来線廃止、産業廃棄物……。その問題意識のなんとまっとうで真剣なことよ。これをポピュリズムなどと言ったら、田中氏にはともかく村の人々に失礼な気がした。
車座集会の住民参加か、それとも県議会の代表民主主義か、そこで知事はどう民意を測るべきなのか。
第一声のあと千曲川沿いに北上する田中氏の選挙カーを追いかけていく。自分でマイクを握る田中氏は人家が途絶えるとこう呼びかけた。
「山の中のイノシシやカモシカのみなさーん。私が田中康夫でーす」
記事の全体はここ。
http://www.asahi.com/column/hayano/ja/K2002082000228.html
ボクは、こういう手触りのある記事を待っていたのだ!
というのも、新聞などマスコミは、たてまえ上、公平を期さなければならないわけだが、本物の、生の声を扱った記事というのは、ほとんど、どこにもなくなってしまっている。(大新聞だとて、鵜呑みに信じてはいけない。それは去年の9月11日以降、僕らが得た教訓ではないか)
田中康夫について、ボクが心情的に抱くことは、W杯前のトゥルシエ監督への思いに似ている。完璧ではないが、最善であることを、なぜ人々は統一見解としないのか? というコト。
彼はハムレットだ。
「このままでいいのか、いけないのか」
このままでいいといえば、現状が維持され、世界はますます腐っていくだろう。このままではいけないとなれば、なにかを破壊しなければならない。破壊しなければならない。破壊しなければ――。
そして、彼はフォーティンブラスではない。ハムレットなので、このままではいけないと思っている。
ボクのうがちすぎだろうか?
目覚まし時計は、徹底的に破壊すべきものを破壊するまで鳴り響くべきだ。
そのあとに洪水が来ても、そこからしか、新しいものは生まれないんじゃないか。
たかだか、地方首長の選挙ではない。ニホンの未来の指針がかかっている。
少なくとも、ボクは、「山の中のイノシシやカモシカのみなさーん。私が田中康夫でーす!」と叫ぶタイプの人間が好きだ。信頼できる。
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