2002.August

8月31日(土)

 一昨日は、CROWのメンバーとLABO!のメンバーとの顔合わせ。新宿。なんか、お互いどうし向かい合って合コンみたいだった。
 僕としては、CROWのうち、白石サンとはじめて会う。同じく、CROWの稲葉サンともに、初対面のせいか、LABO!へも気をつかっていただき、気持ちよい時間を過ごす。あんまり気持ちよかったので、気がつくと、代官山で夜が明けていた……。
 上領さんにはとても具体的な理念があるのだ。もうハッキリと芝居側の構成をつくらねばと思う。そんでもって、Darieさんには絶対台詞を言ってもらおうと思う。フフフ。
 問題は、時間がないこともあるが、接点をさぐるのが難しいノダ。

 そして、徹夜明けの翌日は、TPTの「BASH」を見に行く。
 演出は、ワークショップでお世話になったデヴィッド・ゴサード氏。終演後、初日の打ち上げをして、乾杯。ゴサード氏もかなり疲れたのだろう、1か月前よりはめっきりやせていて、教え子のボクや林ユージ君がいて嬉しそうだった。
 芝居はけっして派手ではないのだが、シンプルにして、力強い舞台。地道に、地道に、本質から迫るゴサード氏の方法がよく生きていたと思う。
 ゴサード氏は、ホントにまっすぐにこの世界の腐り加減を見つめている人で、それに加えて、特別かわったユーモアを持っているので、その言葉がときどき「わかりにくい」のだ。「むずかしい」とも思えるし、ニホン人だったら「ひとりよがり」とも言われるだろうし、少なくとも「思い込みが激しい」とすら言われかねないタイプだ。
 しかし、彼は本物の演劇人であり、芸術家なのだ。人が生きる苦しみをきちんと見据えている人だ。
 ボクは彼のような人と出会えてホントによかったと思っている。とても大きな勇気を与えてくれるノダ。
 できれば、たくさんの人に見てほしいと思う。「BASH」

 注目の長野知事選の記事から。

「長谷川 正月からちょっと難しい話になりますが、知事の理念にいろいろな意味で注目が集まっています。抽象的すぎるという声も聞きますが。

 田 中 私が具体的に言っていると思っていることが抽象的と言われたり、私には抽象的と聞こえる議論が具体的と言われたり、どうも私が思っている具体論は具体的ではないのでしょうか。私の理念は理念ではないのかと戸惑うことが多々あります。それはそうとして、心の持ちようがどこにあるかが、とても大事だと思っています。……」

 これは、南信州新聞のページから。
 実は、ここのページには、昨年の正月に就任したばかりの田中氏と、長谷川氏の対談が載っている。
 もちろん、明日の投票もとても興味シンシンだけど、ボクがこの記事で注目なのは、

「私が具体的に言っていると思っていることが抽象的と言われたり、私には抽象的と聞こえる議論が具体的と言われたり、どうも私が思っている具体論は具体的ではないのでしょうか。」

 という田中氏のコトバ。
 ここに、今のニホンで創造的な仕事をするいちばんの苦労の核心があると思う。どんな分野でも。
 おそらく、人々にとって「具体的」と言われるコトバは、すべて「経済」にかかわるコトバなのだ。儲けとか、効率とか、お金にかかわって、プラスかマイナスか判断できるコトバなのだ。そういう形でしか、人とのコミュニケーションがうまくいかない場面が多すぎるのだ。

 そして、ボクは、ゴサード氏の疲れた面持ちを思い出す。
 さぞや、コトバのことで苦労したろうと。それは、英語と日本語という問題ではない。外国人とニホン人という問題だけでもない。

 たんなる「思い込みの強い」演出家のボヤキではなくてね。
 長野の名物オヤキは美味しいらしい。

 さらば、8月よ。さらば、夏よ。
 さらば、少年たちの夏休みよ!

8月23日(金)

 金欠につぐ金欠である。

 それはさておき、10月の小さな公演の構成台本の第一稿を上げる。構成台本といっても、太田省吾さんの「裸足のフーガ」の主旋律をそのまま使うのだから、ワープロ打ちが終わったというコトなのだが、太田さんのリアリティーがしだいに分かるようになってきたことが嬉しい。これは、もしかしたら、けっこう面白い作品になるのでは、と、タカをくくっていると楽しい。

 一方、CROWのLIVEの方は、やっと顔合わせの日程が決まった。よかった。よかった。くわえて、林佑次サンという、tptのワークショップで知り合った新しい役者さんの出演も取り付けた。今回のパフォーマンスにうってつけだ。体の芯から、言葉と声の出る人。マクベスでもリチャ3でもぴったりだと思っている。

 なかなか、時間というのはかしこいものだ。いつだって、状況の変化を求める。

 ――しかし、世間では、幼児虐待だの、ドメスチック・バイオレンスだのの、不幸な事件が続いている。と、マスコミはよくもまあ、あきずに、報道してくれるよなあ〜。
(だけどさ、なんで、マスコミはこういう話を報道するのかと、思う。マスコミが報道して解決したことなんて、あったためしはないじゃないか。昔から、暴走族も、不良少年も、家庭内暴力も、落ちこぼれも、いじめも、不倫も、浮気も、援助交際も、ひきこもりも、幼児虐待も、ドメスチックも。気が滅入るばかりで、マスコミの報道のおかげでなくなったりはしないのだ。報道されないものだって、かなりあるだろうし。社会欄という3面記事というのは、百害あって一利なし、ではないかと思うこのごろだ。くだらない。それで、世論が騒いで、また国会は中途半端な法律を作って、問題をこじれさせて、結局は解決なんかしないのだ。だって、これらは、社会の問題ではなく、個々人の、プライベートな家庭内の問題だからだ。そういう空間は、ナイーブで繊細で、マスコミも、法律も、実質的には手は出せないのだ。法律は、とにかくアメリカかぶれだ。ニホンの妻が、夫に暴力を受けたからといって、夫を告発するとは考えにくいじゃないか。それが、ニホンだし、別に、変でもないと思う。ただ、アメリカとは違うというだけのことだ。法律がなんでもかんでもできると思うのは、やめたほうがいい。おそらく、こういう問題は結婚斡旋所と同じで、民間の力、地域の自己治癒力を待つよりほかないのだから。顔が見える範囲の、人間関係でしか、どうにもできない問題がある、そんなことみんなわかっているのに、大きな声では喧伝されない。それより大きな声が多すぎるのだ。みんな、ひそかに、小さな声で、悩みながら生きている……。)

 そこに、あなたがいて、ここにボクがいるように……。

仕事の合間に → おまけの写真ページ その2
いま仕事でやってるジャポニカ学習帳のおまけの図鑑ページつくりの余波で。

今日はマレーグマ。小さくて、毛の短い、熱帯にすんでいるクマ。
クマは昔から、神聖な動物というけれど、いい気なもんです。

仕事の合間に → おまけの写真ページ その1
いま仕事でやってるジャポニカ学習帳のおまけの図鑑ページつくりの余波で。

これはカワゴンドウ。イルカのなかまで、頭がまるくて、なんともいいやつ。

8月20日(火)

 すずしい夜。てきめん、ウチの犬が元気である。
 原産はメキシコの古代文明のクセに、ぜんぜん暑さに弱いチワワ犬は、この夏、ほとんどヘロヘロ状態であった。年齢のせいもあったであろう。ボクのベッドに乗っかってくるのも一苦労で、ときどき、乗れない自分にショゲていたくらいである。
 それが、とたんに元気。イキイキ。お尻をフリフリ、タオルにおちんちんをこすりつけている。やれやれ。

 というわけで、秋風の気配もチロホロという頃、時間の進むのもあっというま、人間にとってはがぜん早いもので、3月の「A・R」はもちろんのこと、この秋の2つの企画も依然、形になるのか、形にならないのか、揺れ動いている。

 とはいえ、世間の話題では、気になる、長野知事選。
 こんなコラムを見つけた。

――で、田中氏はポピュリズム(単なる人気取り)なのか。14日夜、長野市に近い牟礼村での田中氏の車座集会をのぞくと、村民が大勢集まって田中氏との間で質疑をしていた。市町村合併、開発公団の財政赤字、JR在来線廃止、産業廃棄物……。その問題意識のなんとまっとうで真剣なことよ。これをポピュリズムなどと言ったら、田中氏にはともかく村の人々に失礼な気がした。

 車座集会の住民参加か、それとも県議会の代表民主主義か、そこで知事はどう民意を測るべきなのか。

 第一声のあと千曲川沿いに北上する田中氏の選挙カーを追いかけていく。自分でマイクを握る田中氏は人家が途絶えるとこう呼びかけた。

 「山の中のイノシシやカモシカのみなさーん。私が田中康夫でーす」

 記事の全体はここ。
 http://www.asahi.com/column/hayano/ja/K2002082000228.html

 ボクは、こういう手触りのある記事を待っていたのだ!

 というのも、新聞などマスコミは、たてまえ上、公平を期さなければならないわけだが、本物の、生の声を扱った記事というのは、ほとんど、どこにもなくなってしまっている。(大新聞だとて、鵜呑みに信じてはいけない。それは去年の9月11日以降、僕らが得た教訓ではないか)

 田中康夫について、ボクが心情的に抱くことは、W杯前のトゥルシエ監督への思いに似ている。完璧ではないが、最善であることを、なぜ人々は統一見解としないのか? というコト。
 彼はハムレットだ。
「このままでいいのか、いけないのか」
 このままでいいといえば、現状が維持され、世界はますます腐っていくだろう。このままではいけないとなれば、なにかを破壊しなければならない。破壊しなければならない。破壊しなければ――。
 そして、彼はフォーティンブラスではない。ハムレットなので、このままではいけないと思っている。
 ボクのうがちすぎだろうか?

 目覚まし時計は、徹底的に破壊すべきものを破壊するまで鳴り響くべきだ。
 そのあとに洪水が来ても、そこからしか、新しいものは生まれないんじゃないか。

 たかだか、地方首長の選挙ではない。ニホンの未来の指針がかかっている。

 少なくとも、ボクは、「山の中のイノシシやカモシカのみなさーん。私が田中康夫でーす!」と叫ぶタイプの人間が好きだ。信頼できる。

8月15日(木)
女は世界で淋しくって独りぼっち。 夕刊は、終戦記念日と長野県知事選挙の告示で、ほぼ2分されていた。
 この日ばかりは、日本人として、なにか大切なことを考えようよ、という慣習は、いいなあ〜と思う。戦争があった。そして、終わった。今、ニホンは平和なのか?
 確かに戦後、ニホンの人は、大きく戦争に巻き込まれることはなかった。間接的には、朝鮮戦争で経済的な恩恵を受けたり、ベトナム戦争で若者たちが立ち上がったり、湾岸戦争の映像に目を奪われたり、対テロ戦争ではついに自衛隊の海外派兵が合法化されたりと、いろいろな影響は受けてきた。
 でも、もちろん、内なる戦争は、いつも続いている。
 浅間山荘事件、日航機墜落事故、オウムのサリン、などなど。
 なにか、さまざまなゆがみが、人々の目の前に突出して現れることが、やはり人々が瀬戸際に立たされる「戦争」のような状態であると僕には思える。「本物の」戦争とはまた次元の違うものであるとしても。
 次元が違う、というのは、戦争とは国と国とが対立するものだから。だから、テロは戦争か? という疑問も生まれるし、戦争の正当性も論じられる。
 田中康夫が、知事に就任した当初に語った「国家はいずれ解けてなくなるでしょう」という発言が僕にはとても印象に残っている。いまのこの人にしか言えないよな〜、という感じだった。
 しかし、今回の知事選は、彼が勝とうが負けようが、こんなに全国区の話題になりつつあるのに、既成の国家政治の政党が口を挟めない現状がすでに「田中康夫的」にコトが進んでいる証拠なのだ。彼は議会にとって、また既得権を持っている人間にとっては、「独善的だった」かもしれないが、人々が何を望んでいるのか、世界がどこへ向かっているのか、かなりハッキリと知っているし、その意味で、民主的な人だ。けっして、己の利益を優先させてはないと思う。
 脱ダムは、治水の問題でもあるけど、地方行政の国家依存の問題でもあるわけでしょう。その他の自然開発(という名の破壊)や公共事業もそうだけど。
 景気のコトは重要だし、経済的な生活も大切だけど、もはや二度とバブルは来ないし、来てはいけないと思う。そこは、僕ら庶民の方が感覚をあらためるべきだと思うな。
 とにかく、長野知事選は、ワールドカップと同じくらい気になる。
 できれば、がっかりしたくない。
 国家政治にはもはや大きなことは望めないのだから――。

8月12日(月)

 続けて「十二夜」「尺には尺を」「リア王」と読み倒す。しかし、もはや倒されたのは僕のほうだ。まいった。

「十二夜」は「お気に召すまま」でハッキリしてきた性愛の哲学をさらによくできたコメディーにまとめあげてみせた恋愛論の、あるいは男女論の傑作だし、
「尺には尺を」は「ウェニスの商人」などから繋がる、「正義と慈悲との闘い」というテーマの発展形で、結局、人の情欲は法律の正義では裁けないという真実の物語だ。結婚と恋愛とセックスの間の矛盾。そこから生まれる不幸と、笑い。
 そして「リア王」である。まいった。ホントにまいった。
 僕個人の私見だけど、「ハムレット」と「リア王」はもう双璧の傑作だ、と思う。シェークスピアの中での傑作というだけでなく、人間が作った物語と言葉の傑作だと思う。すごい。その深さは、人間の心理のいちばん深いところに触れているような気がする。

「ハムレット」と「リア王」は、世界が腐っている、という認識において、合わせ鏡のような二つの作品だ。世界は腐っている。それは真実だったし、真実なのだ。シェークスピアにとっても、現代のわれわれにとっても。
 その真実に、ハムレットという十七歳の少年と、リア王という八十歳の老人が、数十年の懸隔を経て向き合っている。
 この世界は腐っている。
 それは真実なのだが、それとマトモに向き合うことは、狂気なのだ。その狂気に落ち入らないように、われわれは懸命に知恵をしぼって、この社会を支えあっている。支えあって、どうにか、われわれは、それでも生きなけばならない。生きることしかできないから。

「人間、がまんしなくちゃあ、この世にくるのもこの世を去るのも自由にはならない、機の熟するのを待つ覚悟が大事です。さあ」

 「さあ」と言われて、どこへ行けというのか。
 エドガーの台詞。チェーホフにも通じるような、人生の知恵。知恵。知恵。ホントにまいってしまう。

 下北沢で、真澄サンと望木サンと二人の稽古場公演の打ち合わせをする。こちらは、もっとささやかな叫びの物語。もちろん、ここにもロザリンドがいて、ヴァイオラがいて、デズデモーナがいて、オフィーリアがいる。秘められた、しかし、あからさまな性愛の物語。
 10月の下旬、できれば2日で3ステージはやりたいという主旨になる。

8月9日(金)

 といわけで、シュークスピアを読み倒している。
「マクベス」「ヴェニスの商人」「リチャード3世」「オセロー」と。
 こういう話だったんかい、という感じで、ほとんど始めて読むモンばっかです。それでも、なんとなくシェーちゃんが読めるようになったっちゅうコトです。
 で、キャラの面白いのを探しています。釣りみたいなもんです。焦ってもしようがない作業ですが、実は急がねばなりません。
 ホントは喜劇も読んだほうがいいんだろうけど、そっちに向かわないのは、おそらく僕の性向なのだ。

「ヴェニスの商人」は面白かった。劇構造は平板で弱いと思うし、内容も真面目に向き合うと現代的でないし、感情を理解するのはかなり苦しいんだけど、けど、ここには、現代の「アメリカvsイスラム諸国」という非対称の構図を、ハッキリと揶揄できる材料があって、そういう意味では現代的だった。つまり「正義とはなにか」ってコトなんだけど……。
 そして、かつては、金を貸して利子を取るのは、悪だったのだ、という事実。非難され、蔑まされる醜い行為だったということ。いつから、こんな世の中になっちゃったんだろ? お金が資本に変わるということは、悪だったんだ!

8月8日(木)

 怠慢な日記ですみません。

 先日、LABO!にも音楽をつくってもらってる、アーティストのDarieさんの事務所にうかがってきました。CROWというユニットで活動している上領亘サンという人がそこにいました。Darieさんも、最近彼らとジョイントしています。
 そんでもって、LABO!のメンバーで、CROWのライブに参加するというメチャクチャ冒険的なお話になったのです。

 CROWについては、
 http://www.st.rim.or.jp/~wkamiryo/
 このサイトをお尋ねください。

 音も、ライブの雰囲気も、とてもカッコイイです。
 こんなところに、LABO!の役者がのこのこ出ていって、どうしようというんでしょうか? 何ができるのか? それとも恥をさらすのか?
 それは、見てのお楽しみ!

 ライブ日程:9月29日、原宿ASTRO HALL

8月2日(金)

 tptのワークショップ、多方面へご迷惑をかけつつ、やっと終わりました。
 ほとんど、夏期集中合宿状態で、まったく外部と連絡を取れず、取ろうとせず、失礼しました。

 いまはただ眠るのみ。ZZZZZ.......
 ぼんにゃり、としています。

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