![]() ![]() ![]() |
|
|
![]() |
心配することがあるとしたって、幽霊が出やしないかってことだけだろ! 男をつかめ! そうすりゃ夜中に幽霊を恐がる心配なんかしなくなるンだ。 |
|
このセリフは、彼の初期作品『夜打つ太鼓』の第1幕に出てくる。 知識を語っても仕方のないことだが、ブレヒトの芝居は「叙事的演劇」と言われる。これは客に叙情的な感動を与えるな!
という発想だ。そんな、感動がない芝居が面白いのか? と思えるが、本当のブレヒトはもちろん面白い。たとえて言えば、爆発的に笑える喜劇のような衝撃力を持っている。逆に言えば、客に対して「決して情感に流されるな!」というメッセージでもある。
言葉で書くとなんの変哲もないが、舞台でじっさいに(もちろん役者の意図も必要だが)こういうことが起こると、見ているほうはむしろ疑問に思うのだ。「では、リンゴではないという可能性もあるのか?」と。
これは70年代に有効だった「異化」である。モノとコトバが真っ向からぶつかって、現実と幻想とが拮抗し、すれ違うドラマが始まるのだ。しかし、この手の方程式は、構図が単純すぎるので、冷戦終結以降はホントに無効になってしまった。
これはさらに古典的な「異化」ともいえるが、しかし、古典は死なずで、衝撃は少ないが、おおむね、いつでも有効な「異化」である。客の視点はリンゴより、むしろそうつぶやいた男のほうに向かう。「リンゴをリンゴとして見えなくなっている、この男から、どんな話が始まるのだろう?」とかね。心理劇やリアリズム劇でもありがちなパターンだ。 もちろん、ほかにやり方はある。いくらでもある。リンゴをリンゴとして扱わなければいい。お尻に挟んでもいい、頭にぶつけてもいい、桑田のようにそれに向かってブツブツつぶやいてもいいし、状況によってはなんでもござれだ。 こういうふうに見てくると、「異化」というものは、別にブレヒトの発明品ではないことがわかる。そんなもん大昔から演劇の常套手段だ。ハムレットの”To
be , or not to be. That is a question”もそうだし、世阿弥が「珍しきは花なり」と言ったのも、「珍しいこと」が「異化」で、「花」がその「効果」なのである。 「異化」にはその時代に合わせて、有効なスタイルがある。 |