作:アントン・チェーホフ
Anton Chekhov


登場人物

バクーニン(スターリン銀行トロツキングラード支店の頭取。中年)
タチアーナ
(彼の妻。30歳)
ヒーリン/コジマ・ニコライェーヴィッチ
(会計係長)
メルチュトキナ
(庶民のオバサン)
銀行の株主連中が数名
行員が数名

時:早春
場所:スターリン銀行トロツキングラード支店の頭取の部屋

頭取の部屋。上手は銀行のメインフロアへ通じるドア。デスクが二つ。豪華で、威厳のある印象を与える調度品の数々。応接セット。花々。彫刻。絨毯。コンピュータなどなど。
正午。ヒーリンがひとり。

ヒーリン:(ドアへ向かって叫ぶ)何度言ったらわかるんだァ? 誰でもいいから薬局へ行って、1500ルーブル分の精神安定剤を買ってきてくれ。それと水だァ! 頭取の部屋まで届けさせるようになァ!(犬のように歩き回る)これで4日目だ。一睡もしてない。昼はここで、夜は家で、書き通し書いてるっていうのに……。コホンコホン。熱でもあるのかな? ブルブルブル。寒気がする。ハクション! それに、ハクション! 花粉症か? 冗談じゃない。

以下、適当なところで、咳、くしゃみが出る。

咳はひどいし、鼻はムズムズ。足はむくんで、目のなかじゃあ、さっきから、犬のチンポコのようなものが飛び跳ねてる。すべてはこれのせいだ。(と、コンピュータの画面をクリックして)見栄っ張りでヤクザなウチの頭取が、本日株主総会で読み上げまするレポート、題して「我が支店の現況および将来性について」。……バカやろう!

と、キーを叩く。

21/16/ゼロ/16……。ハクション! いくら誤魔化せったって、こんなもん、どうにもなりゃしないんだ! あいつはいいさ。こっちがでっち上げた資料を読んで、ちょいと愛想を振りまきゃあ、それで済むんだ。ところがこっちは、こんなもん、どうあがいたって、チキショウ! 帳尻なんか合うもんか!(片手で計算機をカチャカチャ)バカやろう!

と、キーを叩く。

137/21/ゼロ……。ハクション! 特別手当だってぇ? うまく行って株主連中を納得させられたら、金貨1枚に300万ルーブルだと? どうだかな? ……(キーを叩きながら)もしこの努力が無駄になってみろ。言い訳なんか絶対認めないからな。俺は短気なんだ。ソノ気になったら、そうさ! なにをしでかすかわからない男なんだゾ!(と、懐のナイフをちらりと見せる)いいかァ! 覚えてろ!

舞台裏で歓声。拍手。バクーニンの声。「恐れ入ります! 恐れ入ります! まことに恐縮です!」と入ってくる。完璧なる正装。今贈られたばかりの大きな花束を手に。 

バクーニン:(ドア口からメインフロアに向かって)いやいや。このようなはものまで頂いて。この感激は、私の心の財産として生涯記憶に残るものでありましょう。恐縮です! まことに恐縮、至極であります! では。(と、ドアをピシャリと閉める)やあ、我が親愛なるコジマ・ニコライェーヴィッチ君!

以下、時折、彼のところに行員が出たり入ったり、印鑑をもらいに来る。

ヒーリン:(立って)頭取! まことに感激であります。我が支店の創立15周年記念祭。謹んでお祝いを申し上げ、あわせて……。

バクーニン:(握手して)いや、ありがとう、ありがとう。このめでたい日を祝して、どうだろうキスしようか? 我々の新しい門出だ!(と、キスする)いや、愉快愉快。君も実によくやってくれたよ。いろいろとね。アハハハ! もし私にいくばくかの功徳があるとすれば、それは、みんな君たち行員のおかげだ。(ため息)とはいえ、15年だよ、15年。まさにアイアム・バクーニン! アイアム・頭取オブ・スターリンバン!

ヒーリン:ハクション!

バクーニン:で、レポートの方はどうだね? やってるかい?

ヒーリン :はい。あと5ページほどです。

バクーニン:そうかい。じゃあ、三時までには仕上がるね。

ヒーリン:邪魔さえ入らなけりゃ大丈夫です。残っているのはほんのちょっとしたまとめだけですから。

バクーニン:素晴らしい! まさにアイアム・バクーニン! アイアム・頭取オブ・スターリンバン!

ヒーリン:ハクション!

バクーニン:アハハハ! 総会は4時からだからね。どうか君、よろしく頼むよ。じゃあ、出来たところからを見せてもらおうか。予習しておこう。

ヒーリン:いや、あの……。

バクーニン:なにやってんだ? 早くよこせ。おら。(と、奪い取って)いいか。このレポートには私の命運がかかってるんだ。これは私の虎の子、いや打ち上げ花火だァ。ドカーンと一発! 景気よく! アイアム・バクーニン! アイアム・頭取オブ・スターリンバン!(と、座って読む)

ヒーリン:ハクション!(キーを叩いて)2/ゼロゼロ/39……

バクーニン:と、行きたいところだが、いい加減、私も疲れた。ゆうべは痛風に襲われるわ、今日は朝から取り引き先を駆けずり回るわ、帰ってみれば、このバカ騒ぎだ。やれやれだ。

ヒーリン:2/ゼロゼロ/39……あれ?(目をこすって)なんだ? なにもかもが緑色に見える!

バクーニン:しかしなあ、君。嬉しくないこともあってね。今朝、君の奥さんがウチに来てこぼしてったぞ。ゆうべ君は包丁を持って、奥さんと奥さんの妹さんを追い駆け回したそうじゃないか? 

ヒーリン:31/6/4144……ハクション!

バクーニン:いったいどういうことなんだ? え? コジマ・ニコライェーヴィッチ君! バカなことはやめたまえ!

ヒーリン:頭取! どうか家の話は勘弁してください。記念祭なんですから、そうでなくったってこの厄介な仕事のせいで、私は、ハクション!(震え出す)

バクーニン:(ため息)どうしようもない男だなァ、君は。ええ? コジマ・ニコライェーヴィッチ君! 実際、君は優秀だし、仕事の上ではすこぶる信頼できる男なんだが、女のこととなるとどうしてそう荒くなるんだ? まるで切り裂きジャックだぞ。家庭は大事にしたまえ。

ヒーリン:どこがいいんですか? あんなもんの! ハクション!

間。

バクーニン:見てくれ。(と花束を)みんながくれたんだ。豪勢じゃないか。株主連中も祝辞に加えて、私の銅像を贈ってくれるらしい。まさに、アイアム・バクーニン! アイアム・頭取オブ・スターリンバン! 

ヒーリン:ハクション!

バクーニン:文句なし! と行きたいところなんだが、君、このお祭り騒ぎだってなんだってみんな宣伝なんだよ。わかるかい? その祝辞だって、私が自分で書いたんだ。銅像だって自分で買ったんだ。しかもだ、たかが祝辞の装丁に、45万ルーブルもかかってる。どうしようもない。連中にはそんなこと考えつきやしないんだから。(部屋を見回し)このインテリア! この椅子! このカーペット! 陰じゃみんな、つまらないことにいちいちうるさいオヤジだと言ってるんだろ?「笑顔は絶やさず、ドアノブぴかぴか! ネクタイは派手すぎず地味すぎず、守衛には必ずデブを採用!」やれやれ。そうじゃないんだよ。ドアノブもデブの守衛も、ちっともつまらないことじゃないんだよ。私だって、家じゃありきたりの庶民なんだ。好きなものを食べ、好きなだけ眠り、時には酒も飲む。

ヒーリン:嫌味ですか、それは? 私への。

バクーニン:嫌味じゃないよ。君に嫌味言ったって始まらんだろ? まったく。私はただの庶民にすぎないと言ってるんだ。庶民でもあり、金持ちでもあり、ノンキな趣味人にすぎないと言ってるんだ。ところがだ。ここでは一事が万事、でっかく構えてなきゃならん。ここは銀行だ。あらゆる細かなディテールが、上品で勿体ぶった空気に包まれていなくちゃならんのだ。(と、床の紙屑をつまんでゴミ箱に捨てる)

ヒーリン:(キーを叩いて)89/183/24……

バクーニン:まさに頭取としての、私の業績のすべては、我が支店の品位を高めたことに尽きるんだよ。まさに、すべてはこの雰囲気という奴なんだ。まさに、アイアム・バクーニン! アイアム・頭取オブ・スターリンバン!

ヒーリン:ハクション!

バクーニン:(ヒーリンを見て)なんだ君? その格好は? もうすぐ株主連中がガン首揃えてやってくるってときに。そのマスクに、そのサングラス? サングラスだろ? それは?

ヒーリン:ゴーグルです。

バクーニン:ええい。なんでもいい。それに、そのチャンチャンコは? チャンチャンコだろ? どう見てもそれは?

ヒーリン:そうです。チャンチャンコです。

バクーニン:礼装とまでは言わなくても、普段通りにスーツを着て来れなかったのかね?

ヒーリン:私にとっちゃあ株主連中なんかより自分の体のほうが、ハクション! 大切ですからね。ブルブルブル!

バクーニン:しかし君、ここは銀行だ。場違いだとは思わんのかね。ええ? 全体の調和が台無しだよ。

ヒーリン:消えますよ、連中が来たら。それでいいでしょう!(キーを叩いて)717/21/5……ハクション! 私だって場違いなのは嫌ですよ。でも、じゃあ言いますけど、どうして今日のパーティーに女どもを呼んだんですか?

バクーニン:バカバカしい。なんのことやらさっぱりだ。 

ヒーリン:会場じゅうを女どもで飾り立て、せいぜい派手にやろうってことなんでしょうが。言いますけど、いいですか、あいつらきっとメチャクチャにしますよ。何もかも。女こそ混乱と無秩序の根源なんですからね。

バクーニン:逆だよ。女性こそがこの世界の雰囲気を一気に盛り上げるんだよ。

ヒーリン:ええ、ええ、そうでしょうね。じゃあ言いますけど、例えば頭取、あなたのところの、あの有名女子大出の、あの、お美しい奥さんですけどね、先週、私に向かってイキナリなんて言ったと思います? 私は開いた口がそのあと二日間、開きっ放しでしたよ。いいですか? イキナリですよ、客が大勢いる前で、「あなた! ウチの銀行ったら、あの倒産寸前のドリャシュコ・プリャシュコ証券の株、丸抱えしてたって本当? もう、ウチの人ったらそのことで頭がいっぱいで、あたしの相手なんか全然してくれないの!」……客のいる前でですよ! どうしてそんなこと、奥さんに話すんですか? 信じられませんよ。

バクーニン:お、そうだそうだ。そう言えば、(と、時計を見て、急に暗くなって)もうすぐあいつが着く時間なんだ。本当なら、駅まで迎えに行ってやらなきゃならなかったんだが、しかしまあ、もうそんな時間はないわな。やれやれだ。実のところ、あいつが帰って来たってちっとも有り難くも何ともないんだよ。いや、そりゃ有り難いことは、有り難いんだが。

ヒーリン:はいはい。

バクーニン:あともう少し、一日か二日か、向こうにいてくれればなァ、まったく。会えば、「今夜はずっと離れないでね」ってことになるに決まってるんだ。

ヒーリン:はいはい。

バクーニン:まいったなァ。こっちはパーティーの後で、ちょいとくり出す約束があるっていうのに。ブルブルブル! いかん、神経症の痙攣だ! これがくると実際、私はチョイとしたことでも泣き出してしまうんだ! いかんいかん。アイアム・バクーニン! アイアム・頭取オブ・スターリンバン!

ヒーリン:ハクション!

タチアーナが入ってくる。コートに、旅行用の鞄を肩にかけて。

バクーニン:いやあ、噂をすれば何とやらだ。

タチアーナ:ダーリン!(駆け寄って、キスの嵐!)

バクーニン:いやあ。今、おまえの話をしてたところなんだよ。

タチアーナ:寂しかったあ? ねえ、あなたァ? あたし、おウチに寄らずにまっすぐ来ちゃったの! 話したいことがいっぱいあるの! もうガマンできないんだもの! あたし! 

バクーニン:ああ、ああ、そうだろうねえ。

タチアーナ:コートは脱がないけど、いいわよねぇ。すぐ帰るんだし。(ヒーリンに)こんにちは。コジマ・ニコライェーヴィッチ君!(夫に)ねえ、あなた、変わってない?

バクーニン:ああ、もちろん。ちょっと見ないあいだに何だかまた可愛くなったね。向こうでは楽しかったかい?

タチアーナ:もちろんよ。ママとカーチャからよろしくって。それから、これはヴァシリアからあなたにって!(とキス)伯母さんがジャムをくれたわ。みんな、あなたが手紙もくれないって怒ってたわよォ。それからジーナからもあなたにって!(とキス)ねえ、あたし、話したいことがいっぱいあるの! でもダメ! 今はドキドキしちゃって。……だって、あなたの目、嬉しそうじゃないんだもの。あたしが帰ってきたのに!

バクーニン:そんなことないよ。すてきだよ!(とキス)

ヒーリン:コホンコホン。

タチアーナ:そお? ……カーチャったらね、かわいそうなのよォ。とってもかわいそうなのよォ。

バクーニン:でもね、今日は記念祭なんだよ。もうすぐ株主連中が来るんだよ。

タチアーナ:そうよね。今日は記念祭なのよ。おめでとう! みなさん! おめでとう! じゃあ今日はパーティーなのね。あたしパーティーって大好き。ステキじゃない。あなたがこのところずっと苦労して書いてた、あのレポートがやっと日の目を見るのね。ステキじゃない!

ヒーリン:コホンコホン。

バクーニン:いやいや、それは内緒なんだよ。さあ、もういいから帰りなさい。

タチアーナ:すぐ帰るわ。あなたとお話したら。ね? いいでしょう?

バクーニン:ああいいよ。

タチアーナ:よかった。じゃあ座って?

バクーニン:ああ。(と、座る)

タチアーナ:駅であなたとお別れしたあとね、隣にデブデブのオバサンが座ったの。

バクーニン:デブデブ?

タチアーナ:ほら、あなたも見てたじゃない? でもあたしって、電車の中でお喋りするのって苦手でしょ。だから無視して本を読んでたわけ、でも気がついたらもう夕方で、それでヤんなっちゃったの。したら、髪の黒い男の子が反対側に座ってるじゃない。それがけっこうかわいいの。でね、ずっとお喋りしてたら、そこに海軍の子も入ってきて、それからどっかの大学生もきて、あたしね、その人たちの前でね、独身だって言っちゃったのォ! したら、とたんにみんなの目の色が変わるのよ! ドキドキしちゃった! 夜になっても誰も眠らないだもの。髪の黒い子はずっとバカなことばっかり言ってるし、海軍の子はずっと歌ってるし、あたし、ずっと笑いっぱなし! その海軍の子がまた面白いのよ。あたしの名前がタチアーナだって知ったらね、したら、あなた知ってる? こういう歌? 
♪ ああ! オネーギン! 嘘じゃないんだ!
ボクはタチアーナが大好きだ! 死ぬほど好きだ! 
って、かわいいでしょ! アハハハ!

ヒーリン:コホンコホン。

バクーニン:でもね、タチアーナ。コジマ・ニコライェーヴィッチ君の邪魔になるから。さあもう帰ろうね。あとでまたゆっくり……

タチアーナ:あら、気にしなきゃいいのよ。気にしないでね。コジマ・ニコライェーヴィッチ君。よかったら一緒に聞いてくれてかまわないのよ。

バクーニン:タチアーナ!

タチアーナ:それからがまたすごいのォ! 駅までセリョージャが迎えに来てくれたでしょ。そこで次に会っちゃったのが、国税調査官、だって! ホントよ! あたし名刺もらったんだから。それが オシャレな人でね、スラっとしてて、目がきれいで、セリョージャが紹介してくれたから、タクシーのなかでもずっとお話できたのよ。

舞台裏で怒号!「コレ! ダメだ! 入っちゃ! ダメだって言ってるだろ! コレ!」。……メルチュトキナが入ってくる。

メルチュトキナ:(ドア口で手をつかまれて)ちょっと! あんた、腕をつかむこと、ないでしょ! 放しなさいよ! あんたみたいな下っ端には用はないんだから! 放しな(と、離れた勢いで入ってきて)さいよ! まったくもう! ……失礼しちゃうわ。わたくし、県議会の書記長を務めておりますフョードロヴナ・メルチュトキナの妻でございます。

バクーニン:はぁ? またなに用でございましょうか?

メルチュトキナ:あなたがバクーニンさんで?

バクーニン:ええ。私がバクーニンですが。

メルチュトキナ:わたくしの夫は、長年、県議会の書記長を務めて参ったんでございます。

バクーニン:はぁ。

メルチュトキナ:それがですよ、病に臥せっておりましたこの5か月ばかりの間に、わけもなく、突然、免職になったのでございます。

バクーニン:はぁ、はぁ。

メルチュトキナ:そればかりか、わずかばかりの退職金から24万ルーブルと36コペイカも差っ引かれているじゃありませんか。わけを聞きますと、なにやら夫が、共済ファンドとかからぁ、お金を借りていましたとかでぇ、それを別の人が立て替えていて、それでどうのこうのと! 

バクーニン:はぁ、はぁ。

メルチュトキナ:わたくしはもう何がなんやら! あの人が、私の許可なくお金を借りたりするはずないんです! そんなはずがないんです! 

バクーニン:えぇ、えぇ。

メルチュトキナ:決して裕福とは申しませんが、わたくしどもはこれまで、地道にささやかに暮らしてまいりました。なのに、もう今度ばかりは、どうしてよいやら他に頼れる当てもなし、……という次第なんで、コレです!(と、通知書を差し出す)

バクーニン:はぁ、はぁ。なるほど。(と、その通知書を受け取って)うーん。

タチアーナ:(ヒーリンに)でね、そもそものはじまりは、先週ママから来た手紙なの。イワニセヴィッチって人が、カーチャに結婚を申し込んできたっていうんだけど、それがカーチャにはもったいないくらいイイ男だったのォ!(と、ヒーリンを叩く)

バクーニン:(通知書を見て)うーん。

タチアーナ:でも、お金はない、仕事もまともにしていない、っていうんじゃ、ちょっとねえ、って感じでしょ? 

ヒーリン:あの、すいませんけど……。

バクーニン:うーん。

タチアーナ:なのにね、カーチャったらすっかりソノ気になっちゃって。ママが、あんたちょっとカーチャを説得しに来てちょうだい、ってことになったわけ。

ヒーリン:ああ! 間違えた!

タチアーナ:なによ?

ヒーリン:ああ、いや。ママとカーチャが何でしたっけ? 

タチアーナ:なに言ってんのォ?

ヒーリン:ああもう! シッチャカメッチャカだぁ!

タチアーナ:バカみたい。ちゃんと人の話を聞いてないからでしょう? どうしたのよ、あなた、今日変よ? もしかして、恋? そうなんでしょ! やだもう! バカ! アハハハ!

バクーニン:(メルチュトキナに)どうも奥さん、これは公費削減って奴ですな。首切りですよ。リストラです。

タチアーナ:ホントに? もしかして、フォーリンラブって奴? ヤダヤダ! 赤くなっちゃってもう!

バクーニン:タチアーナ! ちょっと向こうに行ってなさい!

タチアーナ:はーい。(退場)

バクーニン:しかしね、奥さん。弱りましたな。私どもにはどうしようもないことで。お門違いって奴ですよ。御主人のお務めだったお役所の方に掛け合うのが、筋ってもんでしょうな、これは。

メルチュトキナ:そんな、あなた、私はもう、アッチだコッチだ、ざんざたらい回しにされたあげくに、甥のボリスが言うには、それなら一つ、こちらのバクーニンさんに御相談申し上げてみろと、バクーニンさんならお力もおありだし、お心も広い方だから、きっと助けてくださるだろうと……。

バクーニン:いや、奥さん。その通りなんですが、弱りましたなあ……。御主人が務めておられたのはどうも陸軍の医療機関のようで、しかしここは御覧の通り、民間の金融機関なんですよ。銀行なんです! わかりますか?

メルチュトキナ:ああ、それでしたら、ここに主人の療養中の診断書が。これを見ていただければ……

バクーニン:いや、奥さん! あなたの御主人の病気を疑ってるわけじゃないんです。それとウチとはまったく関係ないんですから!

舞台裏から、タチアーナの高笑い。続いて男の笑い声。

バクーニン:(ため息)ったくあのバカ女が! (メルチュトキナに)それで、御主人は何ておっしゃってるんですか?

メルチュトキナ:ダメですよ、あの人は。なに言ったって、「おまえの知ったことじゃない! あっちに行け!」の豪華一点張りなんですから。

バクーニン:そうでしょう、そうでしょう。だからくどいようですがね、奥さん、御主人が務めてたのは軍の医療機関で、ここは民間の金融機関なんです。銀行なんですよ!

メルチュトキナ:もちろんそうですよ。銀行ですよ。それくらいあなたに言われなくったってわかってます。子供じゃないんですから。

バクーニン:でしたら……

メルチュトキナ:ですから、ほんの5、6万でいいんです。それだけいただければ、あとはどうとでもおっしゃるようにいたしますから……。

バクーニン:ヤレヤレだ!

ヒーリン:頭取! これじゃあとても仕上がりそうにありません。

バクーニン:もう終わるよ! これで終わりだ!(メルチュトキナに)いいですか、奥さん! あなたがおっしゃっている要求は、まるで薬屋か、宝石屋にでも行って、離婚届けをお願いしますっていってるようなものなんですよ!

ノックの音。タチアーナの声で「あなたまだ?」

バクーニン:もうちょっとだ。待ちなさい! 

メルチュトキナ:そこをなんとか、お願いでございます。バクーニンさん。

バクーニン:いいですか、ウチの銀行と、御主人の退職金とは、一切何の関係もないんです! 今日は15周年記念祭で忙しいんですから。もうすぐお客さんが大勢いらっしゃるんですから。さあ、もうどうか……(ドアの方へ促しながら)

メルチュトキナ:(と、反対にずんずん迫って)そこを! そこをなんとか! バクーニンさん! このか弱い女ひとりに、これ以上なにができましょうや?

バクーニン:できましょうやって、いや奥さんねえ……

メルチュトキナ:出戻りの娘に、登校拒否の息子に、病気の夫とまだ残っている家のローンと、一切合切みんな抱えて、ああ、どうやってあたしに、生きてゆけとおっしゃるんです?(と、泣き崩れる) 

バクーニン:ブルブルブル! もうダメだ。頭の中をカモメが飛んでる。旋回し始めた。アイアム・バクーニン! アイアム・頭取オブ・スターリンバン!

ヒーリン:ハクション!

バクーニン:コジマ・ニコライェーヴィッチ君。あとは君から、こちらの奥さんによく説明してさしあげなさい。

ヒーリン:はァ。

バクーニン:任せた。(と、ドアから出ていく)

ヒーリン:(メルチュトキナに近づいて)いったいなんのご用でしょう?

メルチュトキナ:(ヒーリンに縋り付くように)このわたくしに、いったいどうやって生きていけとおっしゃるんです?

ヒーリン:なんの用かって聞いてるんですよ、私はァ!

メルチュトキナ:一見、丈夫そうに見えても、ホントは体じゅう故障だらけなんです。今もこうして、ああ!(と、ふらついて)立っているのがやっとなんですから。最近では、いただくものの味までわからなくなってしまって、今朝もコーヒーを飲みましたがちっともおいしかありませんでした!

ヒーリン:それより、その前に、アンタねえ、ちゃんと脳ミソは入ってんのかなあ?(メルチュトキナの頭を指して)ええ? その中には?

メルチュトキナ お願いです。ほんの5万、いや6万、いや7万で構わないんです。いますぐでなくってもいいんです。

ヒーリン:どうも、アンタねぇ。頭取はさっき、アンタにちゃんとロシア語で話したはずですよ。「ここは銀行なんだ」って。

メルチュトキナ:ええ、そうです。もちろんそうです。診断書ならちゃんとここに。

ヒーリン:本当に入ってんのかよ? 脳ミソが? 

メルチュトキナ:ええ、そうです。もちろんですとも。わたくしは、別に無謀なことを申し上げてるわけではないんですから。

ヒーリン:入ってんのか、入ってないのか、どっちなんだって聞いてるんだァ!

メルチュトキナ ええ、ええ。まさにおっしゃる通りで。

ヒーリン:バカやろう! 帰れ! こっちは忙しんだ! アンタの相手なんかしてる暇はないんだ! (と、デスクに戻る)

メルチュトキナ:それでは、お金の方は?

ヒーリン:入ってねえんだよ。そこには何にも。そこにあるのは、これだァ!(と、デスクを叩く)

メルチュトキナ:何をするんですか! ちょっと、あなたぁ! 

ヒーリン:ホラ。これだァ!(と、自分の額を叩く)

メルチュトキナ:あなた! やめなさい! そういうことは自分の奥さんにすればいいんです! わたくしは、県議会書記長の妻ですよ!

ヒーリン:だったら出てけ! いますぐ出てけ! 守衛を呼ぶぞ!

メルチュトキナ:バカにするんじゃないわよ! 一介の事務職員のくせに! いるのよね、どこの銀行にも必ず、あんたみたいなろくでもない男が!

ヒーリン:ああ! あったまくるなァ! このオバサンが! いいか、もう一度言うぞ。いますぐ出てけ! 出てくんだ! 出てかないと、この俺の気性だ、何するかわからないぞ! オバサンの一人や二人、片輪にするのはわきゃないんだァ!

メルチュトキナ:ヘン! ぜんぜん怖かないわよ! あんたみたいなろくでもない男が必ずいるのよ。どこの銀行にも!

ヒーリン:ああダメだあ。気分が悪い。(と、椅子に座り)だから女なんか入れるなって言ったんだ。どうやって書けってんだ? こんなところで?

メルチュトキナ:あたしゃ何も無謀なことを言ってるんじゃないんだ。ただ自分のものを下さいって言ってるんだ。何さ、チャンチャンコなんか着てさ。場違いだと思わないのかい。この田舎モン!

バクーニンとタチアーナが入ってくる。

バクーニン:ああ、そうかいそうかい。

タチアーナ:でね、それからあたしたち、ベジャールさんのお宅にお呼ばれしてたんだけど、なのに、カーチャったらホント、バカなのォ、死んだママが作ってくれたっていう古くさいワンピースをどうしても着てくって言って聞かないのよォ。それが死ぬほど地味なの。もうダサダサなの。しようがないから、あたし、せめてかわいらしくと思って、襟首が見えるように髪を上げてあげたら、それでどうにかマシになったんだけど、れでもカーチャったらねぇ……

バクーニン:(緊張している)そうかいそうかい。マシになったかい。でもね、もうすぐ来るんだよ。連中が。

メルチュトキナ:バクーニンさん!

バクーニン:まだいたんですかあ?

メルチュトキナ:この銀行じゃあ社員にどういう教育をされているんでございますか? 

バクーニン:何でしょう? いったい?

メルチュトキナ:あの男ですよ! あの男、私に向かって何をしたと思います? 

バクーニン:いや。

メルチュトキナ:こうやって机を叩いたんです! 

バクーニン:え? 奥さん、まさか。

メルチュトキナ:それから、自分の頭をこうやって叩いたんですよ! 私の話をよく聞くようにってあなたからの命令を無視して、あの男は、女性を侮辱したんです!

ヒーリン:頭取!

バクーニン:アハハハ。弱りましたなあ。まあ、じゃあ奥さん、この件は私が責任持ってお調べするとして、今日のところは、ひとまず……

メルチュトキナ:ひとまず、何でしょう?

バクーニン:いやいや。いずれまた、結果は追って……ブルブルブル!(と、震えて、その場にへたりこんでしまう)ああ痛風だ!

ヒーリン:守衛を呼びましょう! デブの守衛を! こんなオバサン一人になめられてたまりますか!

バクーニン:(呻きながら)ダメだ、ダメだ。大声でも出されてみろ、このビルの二階から上はマンションなんだぞ。:

ヒーリン:(泣きながら)しかしこれじゃあ、レポートが! 

メルチュトキナ:わかりました。バクーニンさん。じゃあ、頂けるものはいつ頃いただけますでしょうか? できれば、わたくし今すぐ頂きたいんですけど。

バクーニン:(傍白)なんて女だ! (メルチュトキナに)奥さん。ここは銀行なんです! 単なる民間の金融機関なんです!

メルチュトキナ:そうです! 銀行です! だからこそ、わたくしのような庶民の苦労をぜひともお察しいただいて。どうかお助けくださいまし。

バクーニン:くださいましって、ああ……(足の痛みに悶える)

タチアーナ:ちょっとオバサン! あんたねえ、さっきから邪魔だって言ってるのが聞こえないの?

メルチュトキナ:まあ奥様! なんてお美しい! どうか聞いて下さいましな。世の中なんて冷たいものですねえ。わたくしはもう、精も根も尽き果てて、今朝もコーヒーを飲みましたがちっともおいしかないんです。

タチアーナ:このオバサン、バカじゃないの?

バクーニン:わかった! さあこれで(と、札入れから紙幣を数枚出す)

メルチュトキナ:あらま!

バクーニン:どこへでもいいから消えてくれ!

メルチュトキナ:こりゃこりゃ。どうもどうも。(と、受け取って数え始める)

ヒーリン:コホンコホン!

タチアーナ:あたし、もう帰らなきゃ。(と、時計を見て)でも、まだ話が終わってないのよ! ダーリン! あと一分。それでおしまい。それだけ話したら、あたしは退場! ねえ、いいでしょう?

バクーニン:(痛風に悶えながら)ああ……うう……

ヒーリン:(決死の形相で)……134/61/ゼロ……ハクション!

タチアーナ:だって信じられないのよォ! すごいことになっちゃったんだから! それから、あたしたち、ベジャールさんのお宅に行ったのね、でも、まあ、それはよかったの、けっこう楽しかったから。ああ、でも、あんまし楽しくもなかったか。でもね、例の、カーチャのことが好きだっていうイワニセヴィッチさんももちろん来てるわけ。あたし、カーチャを引っ張ってってよくよく聞いてみたのよ。そしたら、カーチャったら、泣き出しちゃって、あたしも一緒になって泣いちゃったのォ。ほら、カーチャって、人のいうことをなんでも聞いちゃうでしょ。で、イワニセヴィッチさんのところへ行って、その場で断ってきちゃったのよ! ……でもまあ、それはそれでよかったって思うの。スッキリしたから。ママは安心したし、あたしだってホッとしたし、カーチャが不幸にならずに済んだんだモン。だけど……、ねえ、あなた、どう思う? 

バクーニン:(痛風に悶えながら)ええ……ああ……

タチアーナ:れから、カーチャとあたしとでね、お夕食をいただく前に、お庭を散歩してたのね、そしたら、バンって! 

ヒーリン:ハクション!

タチアーナ:いきなり、バンって!

ヒーリン:ハクション!

タチアーナ:銃声がしたの! 

バクーニン:ええ……

タチアーナ:無理よ! そんなのォ無理よ! いくら冷静になれったって! (と、嬉しそうに)そんなのォ!

バクーニン:(痛風に悶えながら)あぁ!

タチアーナ:(泣き出して)だって! テラスで、ピストル持って倒れてるのよ! イワニセヴィッチさんが!

バクーニン:もお、ダメだ! もお、ガマンできない! あなた! まだ何か用があるんですか?

メルチュトキナ:どうか主人に、もう一度、仕事を!

タチアーナ:(泣きながら)あの人、自分で自分のここを(心臓を)撃っちゃったのォ!

メルチュトキナ:バクーニンさん、どうか!

タチアーナ:そしたら、カーチャまでその場に倒れちゃって。あの人ったら、そっちのほうに驚いちゃって、「早く! 医者を呼んであげなさい!」って、そう言うのよ、息も絶え絶えで……。でね……。

メルチュトキナ:どうか、主人に、もう一度!

タチアーナ:命だけは助かったの!

バクーニン:(泣いて)ダメだァ! もお、ガマンできない!(ヒーリンに)追い出せぇ! この女を追い出せぇ!

ヒーリン:わかりました。(と、タチアーナに)とっとと出てけ!

タチアーナ:なによ?

バクーニン:そっちじゃない! こっちだァ! 

ヒーリン:(聞いちゃいない。タチアーナに)さあ出てけ! とっとと出てくんだ!

バクーニン:(泣いて)そっちじゃないんだ。こっちの寄生虫女のほうだ。

メルチュトキナ:(バクーニンに縋って)あの、どうか! どうか!

タチアーナ:(ヒーリンに)なんなの? あなた?

ヒーリン:(タチアーナを捉まえて)いいから出くんだ。さもないと……

タチアーナ:なんなのよォ?

バクーニン:ああ、消えてくれ! 俺はもうダメだ。破滅だ。

メルチュトキナ:どうか主人に!

ヒーリン:おまえ一人を片輪にするくらい、わきゃないんだ。滅茶苦茶にしてやる。

タチアーナ:バカじゃないのォ! 放してよォ!(逃げる)

ヒーリン:おいコラ! 逃げるかあ!(追い掛ける)

タチアーナ:こっちに来ないでよ! ヘンタイ!

メルチュトキナ:ちょっとぉ! なにやってるの? あんたたち?

タチアーナ:助けて、ダーリン!

バクーニン:(さらに二人を追い掛けて)やめてくれぇ。頼む。静かにしてくれぇ。

タチアーナ:あっちに行ってよォ!

バクーニン:静かにしてくれ。

ヒーリン:バカにしやがってぇ! バカにしやがってぇ! シャキン!(と、懐からキラリと光るナイフ)滅茶苦茶に切り刻んでミンチボールにしてやるさあ。

タチアーナ:(怯えて)ダメよォ……

メルチュトキナ:キチガイよお! 誰かぁ! 誰かぁ! 

タチアーナ:来ないでぇ……ダメよォ……(と、椅子の上に倒れ、ただもうアヘアヘ)

メルチュトキナ:あぁぁぁぁ!(と、失神。バクーニンの腕に倒れる)

ドアをノックする音。舞台裏から「連中が来ました!」

バクーニン:れんちゅう? ……電柱? ……寄生虫?

ヒーリン:(空虚を切り裂くナイフ)チキショお! だから言ったんだ。女なんか呼ぶなって! チキショお! みんな滅茶苦茶にしてやるゥ!

株主連中が入ってくる。全員正装。一人が祝辞を持ち、一人がシプーチンの銅像を抱えて。ドアの隙間からおそるおそる、他の行員たちが覗いている。

祝辞:あー。祝辞。アイアム・バクーニン殿。われわれ株主連中は、このスターリン銀行トロツキングラード支店の15周年記念祭に当たり、今日の良き日を万事めでたく迎えられたことを心より感謝し、お喜び申し上げる次第である。思い起こせば、15年前、バブルは崩壊、金融ギョーカイ、金利は低迷、てめえこの野郎! と苦しい時代に、無謀とも言われて再出発を果たした当時においては、不良債券は山積みで、預金はなくって貸し渋り、ああ生きるべきか死ぬべきか、倒産すべきか破産させるべきかとビクビクもんだった、このトロツキングラード支店を、ああ、君は! 君のその、勇気と知恵と優しさは! アイアム・バクーニン君! まさに、君こそ……

メルチュトキナ:(我に帰って)ああ、キチガイだわ! 誰か! だれ……(と、倒れる)

祝辞:コホンコホン。あー。アイアム・バクーニン君! まさに君こそ……

タチアーナ:(アヘアヘと)ダメよ! ダメったら! もう! おバカさんね! 急いじゃダメよ!

祝辞:コホンコホン。あー。アイアム・バクーニン君! まさに君こそ、われわれ株主連中の怒り! いやいや、誇りであり、養命酒! いやいや救世主であり、まさに……

バクーニン:れんちゅう……。寄生虫……。誘蛾灯……。

ゆっくりと、人生の黄昏れが迫ってくる。差し込む、夕陽。

バクーニン:「黄昏に、二人の友はそぞろ歩みて、
さかしき言葉を交わしたり、
云うなかれ、青春は滅びぬと。
わが嫉みにて傷つけられぬと」

祝辞:あー。まさに、我が支店の現況および将来性とをかんがみ……、しかしだ、アイアム・バクーニン君、この続きはまたにしようか……

株主連中一同、出ていく。

幕