登場人物 

ワキ   船頭
ワキヅレ 旅人
シテ   狂女(母)
コーラス隊

時 

春、3月15日

場所 

武蔵の国、隅田川

船頭、コーラス隊、楽隊が登場。
コーラス隊は、それぞれ手に柳の小枝をもっている。そのうちの一人は、男の子のオモチャを持っていて、それをしずかに、舞台脇に置く。
その反対側で、船頭は、揺られながら、竿を手に、客を待っている。
いつまでもくり返す、波の音。いたってのどかな春の雰囲気である――

船頭 (遠くへ呼びかける)おーい……。おーい……。おーい、舟が出るぞーい……。

と、のどかな、さざ波のような音楽(滝廉太郎「花」の変奏曲)。

船頭 (ふと客席に向かって)みなさん、こんばんは……。もうすぐ日が暮れます……。ここは武蔵の国、わたしは隅田川の渡し、守です……。今日は、急いで舟を渡さなければなりません……。(と、のんきに揺れる)

それに合わせて、コーラス隊、歌い始める。

コーラス隊 ハルノウララノ、スミダガワ……。
ノボリクダリノ、フナビトガ……。

船頭 おーい……。と、ある事情がありまして、今日これから、川向こうで、念仏供養が催されますので、お坊さまも一般のみなさまも、みな舟でお渡ししなくてはならないのです……。(と、のんきに揺れる)

コーラス隊 ハルノウララノ、スミダガワ……。
ノボリクダリノ、フナビトガ……。

船頭 おーい……。お……。(と、呼ぶ声とぎれて)

なんということもなく、旅人、登場。

船頭 (近くまできた旅人に)やあ……。

旅人 わたしを呼んでくださったんですか……。

船頭 そうだよ。舟に乗るんだったら、はやくしておくれ。もうすぐ日が暮れて、風が出て、いまにもひと雨、来そうじゃないか……。

旅人 でも、ちょっと待ってください……。もうひとりあのあたりに、舟に乗りたいっていっている人がいました……。

船頭 いや、もう待てないよ……。これ以上待ったら日が暮れてしまう……。

旅人 ええ、でもそれが、女の物狂いなんです……。ほら、あの声が聞こえませんか……?

と、耳をすますと、一陣の風の音、はたと止み。

旅人 おや……? 雨だ……。

船頭 ホレ、いわんこっちゃない……。

と、ポツポツ、雨音。旅人は傘をさし、船頭も身を固める。
と、音楽。それにかぶさって、コーラス隊の歌。

コーラス隊 都会デハ 自殺スル 
   若者ガ 増エテイル
   ケレドモ 問題ハ
   今日ノ 雨
   傘ガナイ
   行カナクチャ
   君ニ会イニ 行カナクチャ
   君ノトコヘ 行カナクチャ
   雨ニ ウタレえー

狂女、雨に濡れるままに、ゆっくりと、舞台中央まで進み出て、

狂女 (小さく)のうのう、わたしも舟に乗せてくださいな……。川を渡しくださいな……。

船頭 これかね、おまえさんが舟に乗る客がいるといったのは……?

旅人 そうです……。(よろめく狂女に傘をさしかけて)だいじょうぶですか……?

船頭 乗せてやらないこともないが、どこからきて、どこへ行くつもりだね……?

狂女 都より、人をさがして、はるばる下ってまいりました。

船頭 (面白がって)へえ……。都の人間だったら舞いを舞うだろう。どうだい、この雨のなか、物狂いらしく、面白く、ここでひとさし舞い狂って見せてくれたら、乗せてやるということにしようじゃないか。

狂女 (すっくと背筋を伸ばして)つまらないことをおっしゃいますな……。それでもあなたは、隅田川の渡し守ですか……?

旅人 そうですよ。隅田川の渡し守だったら、あの「伊勢物語」の渡し守のように、「さあ、日も暮れた、お乗りなさい」と、それぐらい言わなくちゃ……。

狂女 こう見えても、わたしは都の人間です……。

旅人 まったく、隅田川の渡し守とも思われません……。

船頭 いや、まいった、まいった……。都のお方は、名にし負う、噂どおりに気が強いわい……。さあ、雨あしが速くなる前に、乗った、乗った。(遠くへ)おーい、舟が出るぞーい。

と、ピチャピチャ、雨の音。ゆっくりと、日が傾いてゆく。
旅人の介錯で、狂女、それから旅人も、舟に移り、中腰で、腰を掛けたようす。船頭、ゆっくりと竿をあやつって、三人、それに合わせて、回りながら揺れる。波の音。
と、音楽が入り、コーラス隊の歌。

コーラス隊+三人 名にし負わば、いざ言問わん都鳥、わが思う人はありやなしやと。
 ――古今集および伊勢物語 在原業平

空の彼方より「あー、あー」と、つんざくような、叫びのような海鳥の声。

狂女 あれは……、ねえ、船頭さん、あれは、なに……?

船頭 ああ、あの鳥は、あれは沖のかもめさ……。

狂女 ホラまた、つまらないことを言う……。違うわ、あれはみやこ鳥……。ほかの土地でならいざ知らず、隅田川では都鳥……。あなたなら、きっとそういってくださると思っていましたのに……。

旅人 (船頭をつっつく)

船頭 いやはや、そうでした……。たしかにあれは、あなたの言われるとおり、都鳥。

とまた、コーラスの歌……。

コーラス隊+三人 名にし負わば、いざ言問わん都鳥、わが思う人はありやなしやと。

以下、コーラスはハミングとなり……。

狂女 その昔、在原業平は、あの鳥に、都に残してきた恋しい人がいまどうしているか、知っているなら教えておくれ、と歌いました……。おなじようにわたしもあの鳥に、人さらいにさらわれて東に下っていったという、わたしの子どものことを聞いてみたい……。

旅人 人さらいにさらわれて……?

狂女 そうです……。

旅人 あなたのお子さんを……?

狂女 ひとり息子でした……。

旅人 お気の毒に……。

船頭、黙って大きくひと漕ぎ。後ろの二人も大きく揺れる。
コーラスのハミング、このあたりから一部、念仏(南無阿弥陀仏)にかわる。念仏のなか、三人、揺られながら、半周ほどまわる心持ち。

旅人 ねえ、あの向こう岸の柳の根もとで、人がおおぜい集まってなにやらしておりますが、あれはなんなんです……? 

船頭 念仏供養だよ……。どこかの人買いに買われて連れてこられた子が、よほど邪険に扱われたんだろう、あそこで倒れて、あの柳の根もとに埋められたんだ……。それをあわれんで、今日はその子の命日に当たるので、このあたりの者がああして念仏をあげているんだ。

狂女 あそこで倒れて……? いつのことです、それは……?

船頭 去年の……、そう、今日が命日ですから、三月十五日。

狂女 で、その子の年は……?

船頭 たしか、十二歳。

狂女 その子の名は……?

船頭 梅若丸……。

「あーあーあー」と、悲鳴なカモメの声。

船頭 ともかく、その子を捨てたまま、人買いはみちのくに下っていってしまうし、このあたりの者が墓を作ってやったものの、親が尋ねてくるのでもなく、かといって身寄りの者が尋ねてくるのでもなく……。

狂女 たずねて来なかったのも道理です……。わたしがその子の母親なんですから……。梅若丸こそ、わたしのひとり息子なんですから……。

ふと気がつけば、日は沈み、雨もやみ、あたりは月明かりのなか。
舟は下手に着き、狂女は旅人に手をとられて舟をおり、振り向いてオモチャ(塚)のもとに歩む。
同時にコーラス隊は、手に手に持った柳の枝を集めて、塚を飾る柳の木となる。念仏。

船頭 あれがあなたのお子さんのお墓です。

狂女 ……。(泣く)

旅人 いつまでもそんなところで嘆いていてはいけません……。せめて、念仏でも唱えてあげましょう。さあ、これを。(と、狂女に鉦を手渡そうとするが)

狂女 (首を振って受け取らずに、歩き出す)

三人、ゆっくりと墓に近づき、塚の前にうずまって手を合わせる。
次のコーラス隊は語りで、一部はそのまま念仏。

コーラス隊(語り) この世にたとえ生き残っても、
   生き甲斐の人はもういない。
   あるのは、やさしい柳の向こう、
   浮かんでは消える面影も、 
   冷たく花が散るように、
   月が雲間に消えいるように、
   たゆたうばかりの思いの淵に、
   耐えゆくだけの人生なのか。

狂女 せめて、ひと目でも……。

旅人 そうでしょう……。

狂女 会って、この手で、しっかり抱きしめて……。(と、思わずよろよろと立ち上がり)あの子の旅が、どんなに辛く、どんなに苦しく、どんなに悲しかったか、聞いてやることができれば……。(よろめく)

旅人 (支えて、静かに、ふたたび墓の前にうずくまらせる)

船頭 しっかりなさい。念仏を唱えておやりなさい。そうすれば、たとえ会うことはできなくても、お子さんにはあなたの気持ちが通じます。(とふたたび、鉦を狂女に渡す)

狂女 (それを受け取って)

コーラス隊とともに、三人、念仏を唱える。

一同 南無や西方極楽世界、三十六万の く億、同号同名阿弥陀仏……。
   チン! チン! チン!
   南無阿弥陀仏……。南無阿弥陀仏……。
   チン!
   南無阿弥陀仏……。南無阿弥陀仏……。
   チン!
   南無阿弥陀仏……。南無阿弥陀仏……。
   チン!
狂女 (手を合わせたまま)います……。

旅人 なんですか……?

狂女 梅若丸がいます……。

船頭 お子さんが……?

狂女 梅若丸がいるんです……。

旅人 どこに……?

狂女 すぐ、そこに……。

船頭 すぐ、そこ……?

狂女 (顔をあげて)声が聞こえました。あれは梅若丸の声です。いま、そこで。(指をさす)

コーラス隊の念仏は、ハミングとなって続いている。
梅若丸のいるはずの所(オモチャ)が、明るく照らされる。

狂女 梅若丸……。

梅若丸の光 ……。(鈴の音)

狂女 あなたですね、梅若丸ですね……?

梅若丸の光 ……。(鈴の音)

狂女 梅若丸……。(近づこうとする)

船頭 (止めて)いけません。

狂女 (もがいて)なぜ……?

船頭 待っていらしたんですよ、お子さんは……。いま、あなたにお会いして、ようやく旅立つことができるようになったんです、あの世へ……。

と、コーラス隊、ゆるやかに立ち上がり、

コーラス隊 さようなら、
   ぼくはここにいるよ……。
   さようなら、
   ぼくはここにいるよ……。

と、歌うように、つぶやきながら、梅若丸の明りを包み込み、そのまま、コーラス座へと移動する。移動した後には、明りは消えている。

狂女 いました、梅若丸が……

旅人 そうでしたね……。

狂女 会いました、梅若丸に……。

船頭 あの子も、会うことができたんです、あなたに……。

コーラス隊 さようなら、
   ぼくはここにいるよ……。
   さようなら、
   ぼくはここにいるよ……。
   さようなら……。

コーラス隊のつぶやきとともに、音楽は流れ、そして消える。

註:本訳は全面的に別役実の翻案作品を参考としました。また一部に、滝廉太郎、井上陽水の詩句を引用しております。なお、LABO! 未上演のため、既成の楽曲・歌の楽譜はありません。

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