登場人物 

ワキ   淡津ノ三郎
ツレ   清経北の方
シテ   清経
コーラス隊

時 

晩秋

場所 

京の都、平清経北の方庵室


前段

枕を抱えた、北ノ方を先頭に、同じく枕を抱えた、コーラス隊、楽隊、入場。北ノ方は脇にひかえる。
舞台はうす暗く、月明かりのみ。波の音が聞こえ、序曲が入る。
淡津ノ三郎、登場。櫂を手に、荒波を舟で漕ぎつつ進むようす。笠を被り、顔は見えない。ボロボロの敗残兵の態で、

三郎 (疲れきって)ひ、ふ、み……、ひ、ふ、み……、

コーラス隊(語り)しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、

三郎 一、二、三……、八重の潮路の浦の波、そらあ……。一、二、三……、

コーラス隊(語り)しづかにきしれ四輪馬車、
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、

三郎 一、二、三……、いざ、九重の、京の都にいざ帰らん。一、二、三……、

と、舞台中央まで進み来て、漕ぐ手を止めると、波に揺られつつ、笠を脱いで一瞬、客席を見るが、うしろめたいように伏し目がちで、

みなさん、こんばんは……。(揺られながら)私は、左中将平ノ清経に仕えている、淡津ノ三郎(と、よろけて)おっと、……いう者です。(揺られながら)主人清経は、筑紫での戦いに敗けてのち、なまじ都へ帰る路で、名もない者の手にかかるよりは、とのお考えだったのでしょう。豊前の国、柳が浦の沖合いに夜舟を出して、更けゆく月とともに、海にお沈みになりました……。

間。しばらく、揺らめいている。

まことに行き届かないことで、(懐に手をあて)その小舟に鬢の髪を切り残しておかれたのを形見として、これから都へ持ってのぼります。まことに生き甲斐のない命です……。

と、笠を被って、再び舟を漕ぎ出す。

一、二、三……、一、二、三……、ながい田舎暮らしを抜けて、そらあ……、一、二、三……、一、二、三……、なつかしい都へ戻ってみれば……。

と、波の音と音楽、消える。三郎、笠を打ちあおいで、舟からおりると、

どこもわびしい秋の暮れだなあ……。

虫の音。舞台、明るくなる。
三郎、二三歩、歩いて戻りながら、笠を脱いで、懐に手をあてて、

おとりつぎを願います。九州から淡津ノ三郎が戻って参りました。

北ノ方 (と、立って)なに、三郎が帰りましたか。遠慮なくお入り。

と、中央へと進み出て、両者、まわり込んで対峙する。

急な用でもできて帰されたのですか。

三郎 恥ずかしいお使いにまいりました。

北ノ方 それでは、清経は出家でもなすったのか。

三郎 それならばまだ、ようございます。

北ノ方 このあいだの筑紫の戦にも、お怪我はなかったという噂だったが。

三郎 はい。ご無事でございましたが……。

北ノ方 ……。

三郎 (大きく息を吸って)なまじ途中で名もない者の手にかかるよりは、とお思いになったのでしょう。清経さまは、ぶ ぜ ん豊前の国、柳が浦の沖合いに夜舟を出して、更けゆく月とともに、海にお沈みになりました……。

北ノ方  なんと……。そんなはずはない。おなくなりになるにしても、戦場でお討たれになるか、願わないことだけれども、病気ででも、とは思わないではなかった……。(それを、ご自分で身を投げておしまいになるとは)ああ、なんというなさけない私どもだろう。

と、納得できぬものを、ぐっとこらえる身振り。三郎、どよめきて、

コーラス隊 死ぬときはいっしょにと、誓った言葉は嘘であったか。

音楽。コーラス隊、歌い出す。

コーラス隊(歌) 垣ほのす す き薄吹く風の(オーオーオー)
声をも立てずしのび音に(オーオーオー)
泣くのみなりし身なれども(オーオーオー)

音楽が消えると、風の音がよぎる。
ウググッと、北ノ方、こらえきれず、天をあおいで喘ぐようす。

三郎 奥方さま……。

北ノ方  笑う者があれば笑わしておきましょう。この上、恥ずかしいことなどないのだから。

三郎 まことに行き届かないことで……。その小舟に、鬢の髪を切り残しておかれたのを形見として持って参りました。

北ノ方、はたと身構える。三郎、懐より、黒髪の入った袋を取り出し、北ノ方の前に置く。北ノ方、おそるおそる左手にそれを取るが、目を背け、

コーラス隊 ――見るたびに心づくしの髪なれば、

北ノ方  宇佐にぞ返すもとの社に――

と、うやうやしく神前に供えるように、袋を下に置く。

北ノ方 (と、ひるがえって)そんな悲しい形見がいただけるものですか。わたしは知らない。わたしは知らない……。ああ……。

と、寝崩れて、ひっしと枕を抱きしめる。
三郎は、取りつく島のないまま、その場を去ろうとして、一冊の本を見つける。と、(できればオルガンの)しづかに音楽、入り、

三郎 (なにげなく本を開いて)「おるがんをお弾きなさい、女の人よ……

北ノ方  わたしは知らない。わたしは知らない……。

三郎 おるがんをお弾きなさい、女の人よ
あなたは黒い着物をきて
おるがんの前に坐りなさい
あなたの指はおるがんを這うのです
かるく やさしく しめやかに 雪のふっている音のように
おるがんをお弾きなさい 女の人よ……

三郎、退場。音楽、大きくなって、あとを、コーラス隊が次いで、

コーラス(語り) だれがそこで唱っているの
だれがそこでしんみりと聴いているの
ああこの真っ黒な憂鬱の闇のなかで
べったりと壁にすいついて
おそろしい巨大な風琴を弾くのはだれですか
宗教のはげしい感情 そのふるえ
けいれんするぱいぷおるがん れくいえむ!
お祈りなさい 病気の人よ
おそろしいことはない おそろしい時間はないのです
お弾きなさい おるがんを
やさしく とうえんに しめやかに
大雪のふりつむときの松葉のように
あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい
お弾きなさい おるがんを
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。

煌々と月明かり。音楽は消え、一瞬、波音だけが残ったところに……。

後段


突如、高らかに金属音。そして、透明な水の湧き出るような音楽が響く。
清経の亡霊、登場。髪の先から水をしたたらせながら、ゆっくりと近づいてくる。

コーラス1 感受せよ!

コーラス(語り) 感受せよ! とさしまねく、すべてのものが。
すべての曲り角から、風が知らせる、思い出せよと。
よそよそしく素通りした一日が
いつかふいに贈り物となって蘇る。
われらの収穫を計る者はだれなのか? われらを
昔の過ぎ去ったと し つ き年月から切り離すことが だれにできるのか?
(われらがこの世に生まれてから知ったのは一が他のなかに自分を悟るということ)

清経、北ノ方の枕元まで来て、見下ろす。北ノ方、顔を上げる。

北ノ方  だれがそこで唱っているの……?
だれがそこでしんみりと聞いているの……?

清経 あらゆる存在を貫いて、一つの空間がひろがっている
世界・内部・空間が。わたしたちのなかを通りぬけて
鳥たちが静かに飛んでいる。わたしが伸びようとして
窓のそとをのぞくと、すでにわたしのなかに一本の木が伸びている

はたと音楽、止み、静寂……。北ノ方、ぼんやりと清経を見上げる。

清経 清経だとはお気づきになりませんか……。

北ノ方  ほんに、清経でいらっしゃる……。けれども清経ならば、身を投げられたはず。夢でなくては会えぬはずのあなたに、お目にかかるのは夢かしら。でも、夢なら嬉しい夢だけれども、あなたはなぜ定命を待たないで、おなくなりになったのでしょうか。死ぬときはいっしょにと、そうおっしゃったのは、あれは嘘だったのでしょうか。これが、お恨み申さずにいられましょうか。
コーラス(語り) では申すが、恨みは私にもある。なぜ、形見を返した……?

北ノ方  あれは……、あれはあまり悔しゅうございましたので、つい口から出た……、

コーラス(語り) ――見るたびに心づくしのかみなれば、

清経 うさにぞ返すもとの社に――。そんななさけない……、そんな仕方はないだろう。形見は誰だって大事にするはずだ。

北ノ方 違います。慰めのはずの形見が、見れば見るほど、つらいのです。

ひと間あって、

二人 ああ……。

清経 (腰を落として)思い思ってさしあげたのに……

北ノ方 思い思っておりましたのに……

清経 むげにも突っ返されるとは……

北ノ方  自分で命をおすてになるとは……

二人 ああ、なさけない……。

二人、間を隔てて、くるりとそっぽを向く。が、できれば二人、止まることなく、煩悶しながら、うねうねと場を徘徊する心持ち。(〈詩〉が入る。)

清経 (キッと立ち止まり)では、こんなにならない前の話をしよう。それでさっぱりしてくれ……。九州にいたとき、や ま が山鹿の城までも敵が攻め寄せたというので、われらは、その晩すぐに豊前の国、柳が浦へと着いた。そこにほんのいっとき、皇居をかまえて、いろいろの捧げものを用意して、われらは宇佐八幡へ参詣に向かったのだ。

北ノ方 それならば、まだ大君さまもおいでになるじゃあございませんか。また、平家一族の最期も見届けなければならぬ身で、なぜあなたは、ひとり、命をおすてになりました?

清経 そのとおり、それを話さねばならん……。

間。一陣の風の音。それに混じって遠く、法螺貝。
以下、清経の語りに合わせて、音楽がつづく。

清経 われらが宇佐八幡へお籠りして、夜っぴいてお祈りしていたときだ、錦のとばりのなかから、尊いお声が、

コーラス(語り) 世の中のうさには神もなきものを、なに祈るらむ心づくしに――、

清経 これが祈りの答えだったのだ。ああ、神も仏も、ついに平家をお捨てになったか。それで平家一門、みな気を落として、誰ひとり声を出す者もなかったのだ……。

さらに、一陣の風の音。

もはや、この世は頼みにならぬ!

ゴゴォーッと、荒ぶる高波。高らかに、法螺貝。ウオーと、と き鬨の声。

コーラス(語り) 柳が浦の秋風に、
追っ手とみまごう波の音。
白鷺の群らがる松見れば、
源氏の旗かと、肝を消す。

清経 そこへな が と長門方面へ、源氏の大軍が寄せて来たというので、また一門は、舟に乗って押し出した。もはやなにも信じきれない、はかないわれら。波に漂う浮き舟の、どうせ沈まねばならぬ運命を、観じきれない自分の心があさましくなった。神を信じるほかないと思った……。

と、音楽は低く、おだやかに。波音。月明かり、ますます強く。

あの晩は、月のよい晩だった……。私の心を知らぬ奴らは、夜空にうかれているものと思ったろう。腰の横笛をとり出して、興のおもむくままに、いろんな曲を吹いたよ。

と、風に流れて、宴会のような笑い声。
音楽、ゆれるように、清経、歌う。

遠夜ニ光ル松ノ葉ニ、
懺悔ノ涙シタタリテ、
遠夜ノ空ニシモ白キ、
天上ノ松ニ首ヲカケ。
天上ノ松ヲ恋フルヨリ、
祈レルサマニ吊ルサレヌ。

いい歌じゃあないか。気がふれたと思う奴は思え、という落ち着いた心になれた。月もちょうど、西に落ちかけ、今だ、そう思って、南無阿弥陀仏! どうぞ、浄土へお迎えください。こう唱えたか唱えないうちに、私はもう感覚を失っていた……。
北ノ方 それから、どうなされたのです……? それでは、あまりにあっけない。

バババンッと、目を覚ますような打撃音。

コーラス(語り) 奈落も同じうたかたの、あわれは、誰も変わらざりけり。
清経 その通り。どこまで行っても、この世とおなじ地獄なのだ。四方いずれも敵ばかりなのだ。

音楽、重々しく、激しいものとなる。
迫りくる、奇怪な音の嵐に、清経は、太刀を抜いて立ち回る。

清経 切っても切っても、

コーラス(語り) 切っても切っても、巻き返す、、
驕慢、邪見、愛欲の波。
ああ、西海の水底に、わが一門は消えていった……。

清経 (遠くを見やり)もはや、これまで!

と、太刀を捨て、仁王立ち。

さびしくひとりぼっちで、私は、お迎えの舟に救われたのだ……。

と、音楽、止み、一瞬の静寂。音楽ふたたび、低く、ゆれるように。

安心してくれ、もうこのままが仏の境涯だ……。さようなら、では、さようなら。

と、清経、ゆっくりと消えてゆく。

コーラス 頼みしままに疑いもなく、
げにも心は清経が、
仏果を得しこそありがたけれ。

註:本訳は、折口信夫の現代語訳を全面的に参照しています。また一部、萩原朔太郎、リルケなどの詩句を引用しています。なお、LABO! 上演時の楽曲・歌の楽譜についてはlabo@hello.email.ne.jpまでお問い合わせ下さい。

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