NO.9

 

 戦後、強くなったのは、女と靴下と世間だと、そんな言い方ももう流行らなくなったんだろうけど、それくらいいろいろなことが当たり前になってしまったのである。しかし、女の権利はまだ男並みではない、ということで方々ではジリジリとした戦いが続いてはいるけれど……。

 こんなセリフを吐く女は、初めから「女の権利」なんかにどうこう言っている暇はありゃしない。女として生きることに精一杯なのである。それくらい女としての運命に忙しい100%の「女」なのである。「男に女が殺せるものか」と息巻く心には「女」というものの不幸も幸せもすべて知り尽した感がある……。女を幸せにするのは男であるが、女が幸せでない世界が平和であるはずがない。女が幸せでない世界に男が生きられるはずがないのだ。

 このセリフは宮本研の「桜ふぶき日本の心中」という戯曲から。
 宮本研は新劇の劇作家であり、バリバリの左翼であったが、戦後、左翼運動の終焉とともに「日本回帰」していく。「日本とはなんなのか?」という問題意識のなかに突入してゆき、皮肉なことに多くの秀逸な時代モノを書くことになったのだ(と思うけど、よくは知らない)。

 東洋は西洋にあこがれ、女は男にあこがれる、というのが「近代」の欲望の志向性だとすると、時代はますます混乱していって、ついには男は男でなくなって、女は女でなくなって、いったいどうなってしまうんだろう?
 もちろん究極の「男」はいる。アメリカである。ハリウッド映画のスターこそ、男なかの男というイメージの商品価値を担っている。結果、女という価値も同じ。そういう時代なのだ。

 「桜ふぶき日本の心中」の中では、オムニバス形式でさまざまな「心中物語」が語られる。
 けれど、「心中」というものも古い話になってしまった。
 なぜ男と女が心中しなければならなかったのか、そこを理解するメンタリティーは、現代では困難を極める。心中してまで添い遂げようというブットイ絆が、男と女の間では不可能になってしまったである。
 あるのは、ストーカーだの不倫だの、男と女のギクシャクしたすれ違いの関係ばかりである。

(あるいはこんな描写も可能だ。男たちは現実の女よりも、ヴァーチャルなアニメ的な女にあこがれ、現実の女たちは男に好かれたいと思いつつも、男的なものそのものに自分がなりたいと思っている――)

 「アンタとなら死んでもいい」と女がいう。
 言わせた男の勝ちなのか、言った女の勝ちなのか。
 とにかく、そういうところで現代の恋愛は成立していない(ように見える)。
 それよりも、みんな自己愛のプールにどっぷり漬かって、〈権力=男〉を手に入れた人間になりたい! と思っているのだ……。

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