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午後より晴れる。
気分を良くして会社から、下北沢のスズナリへでかけ、風琴工房の「記憶、ああるいは辺境」を見る。作・演出の詩森さんの「ぜったい見に来て」というメールの期待に答えるように。
舞台は戦時中から戦後の樺太。なんだか女郎言葉のようなひょうきんな樺太訛りと、韓国語とを、しっくりとこなしていた俳優たちの、またある種の誠実さと勉強とに感心した。この芝居で伝えたいことをプロダクション一人一人が、それぞれに大切に感じていたのだ。
とても気持ちのよい舞台であった。
ただ、見るものを揺さぶるほどに、ドラマが俳優の体の中で動かないのだった。脚本家として描き切れなかったことはパンフにあった、が、演出としても詰め切れなさ、これだけで伝わるだろうという計算だけで済ましている部分があったように思う。
よくあることなのだ。ボク自身、いつもいつもそうなのだ。辛いほど知っていることなのだ。
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