2004.April

4月28日(水)

 今日、いちばんのニュース。
 それはサッカー日本代表が強いチェコに勝ったこと?
 もちろん、それもあるが、それよりも沖縄で、普天間飛行場代替施設の「環境影響評価書の方法書」の閲覧が始まったことだ。全国紙では社会面の片隅にしか扱われていなかったこの事件だが、地元の辺古野の漁港では、もう何日も女性やオバーたちが座り込みの抗議をしているのだ。

 地元の「沖縄タイムズ」と「琉球新報」の記事を読んでほしい。
http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/today/040428eb.html
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200404281700.html#no_2
 今、沖縄の(ニホンの、世界の)いちばんの問題だ。

 ここにはすべてがある。
 ニホンとアメリカの関係問題、安保、それから環境の問題、そして国家と地方行政・市民・個人のせめぎ合い、それから「経済以上になにを大切に生きるか」という問題だ。
 そのために、沖縄の市長は、地域首長は、県を越え、国を越え、直接アメリカへ直談判へと出かけるのだ。今に始まったことではない。
 いかに国家と対峙して生きてゆくか。
 それだけ追い詰められ、たくましくなっていくのだ。

 たしかに漁民の生活の問題もある。経済の問題もある。
 だが、ジュゴンやウミガメや珊瑚礁、沖縄の自然、ひいては、信仰や誇りの問題でもあるのだ。未来の世代への問題でもあるのだ。
 ここにすべてがある。

http://www.ryukyushimpo.co.jp/news01/2004/2004_04/040426e.html

 このことをなぜ、全国紙は報じないのか?
 いや、どう報じているか見てほしい。この他人事を。温度差の違いを。

http://www.asahi.com/national/update/0428/015.html
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okinawa/news001.htm

 ここには事件の本質を語る力はほとんどない。

 ここにあるのは、情報社会に生きるわれわれのゆがみであり、歪曲と変節の縮図であり、その不正だ。
 (われわれ東京の民は沖縄のことを知らない。外国のことのように。イラクのことと同じように)
 またしかし、ここにこそ、テロリズムや世界状勢の不安を解決するヒントが、ある。人が生きるために、何と戦わなければいけないかのかという手本があるのではないか。あるだろう?
 問題の実相は、その地域=現場にしかないのだというコトだ。

 そのことはこうした札幌市長の言葉にも表れている。
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20040428&j=0071&k=200404289357

 いまや、東京と地方の間に、思いもできないような距離が生まれ、その間に物事の真実が隠されているのだ。
 新聞だけではない。イラク状勢を、アメリカの報道からしか伝えないニホンのメディアは明らかに偏っている。そのことは今日の朝日の夕刊の金子勝氏の論評(報道ではない)を見てほしい。

 ボクらを取り巻く情報はますます偏っているのだ。
 真実は、個々が努力しなければ得られないのだ。

4月22日(木)

 さあて、日本人人質事件から端を発した「自己責任」論も、日々ニュースが流れ、新しい週刊誌の号も溢れ、話題がそこに触れていないのを見て取ると、世間ではそろそろ飽きてきているようである。やれやれ。

 やれやれ、だ! まったく!

 すべて他人事なのだ! バカヤローだ!

 当の若者たちが、そのことでどれほど苦しんでいるのか、そんなコトはおかまいなしなのだ。

解放の人質3人、批判でストレス増大 医師所見 「早期会見で障害回避を」  2004/04/22 09:30

 イラクの日本人人質事件で、十五日に解放された高遠菜穂子さん(34)、今井紀明さん(18)、郡山総一郎さん(32)のカウンセリングに当たった精神科医、斎藤学・家族機能研究所代表は二十一日、三人が事件だけでなく、批判的な世論からも強いストレスを受けていることを明らかにした。

 北海道新聞の記事だ。このニュースは全国紙にはないようだ。

その結果「特に高遠さんは『世間を敵に回している』との思いが強く、精神的に不安定。他の二人も『会見に応じるなら三人で』との意向が強く、人前に出るのが難しい状況だ」と説明。懸念される心的外傷後ストレス障害(PTSD)については「今はまだ急性ストレス障害の段階。今後、PTSDに至るかどうかは、周囲の対応次第だ」としている。

「自己責任論」にのぼせて、人質となった若者とその家族を中傷する人々は意外に多い。おそらく心情的には、日本人の過半数を越えるかもしれない、そんな勢いだ。いや、勢いなんかないのだ。来週になれば、そしてゴールデンウィークのバカンスをそれぞれ満喫すれば、その後には、いったい何があったのかすら忘れてしまうだろう。それが、世論というものだ。愚かだ。愚か過ぎる。そんな愚かな世論なるものに任せている民主主義とはナント恐ろしいものだろうか。

 今回の人質事件について、僕は普段から新聞とネットの活字=文字情報しか知らない(知ろうとしない)人間として、映像メディアの流した「感触」なるものを知らない。
 ただ「自己責任」なる言葉が政府から出たのを知ったときに、「許せねえ!」と思い、またそういう「論」が堂々と出てくるところには、世論もあることを感じ、これは人々の意見が分かれているかも、と思って、LABO!のみんなに「どう思いますか?」とメールで聞いてみたのだった。すると、案の上だ、意見は分かれる、分かれる……。

 情報は溢れ、人は情報によって判断が変わる。
 にもかかわらず、真実と誠実さをもった確かな情報は、探さなければ得られない状況にあるのかもしれない。

 以下は、4月22日現在、新聞社、通信社のHPにおける「人質事件特集ページ」のアドレスである。ぜひ、見比べてほしい。

●共同通信社
http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/hostages/
(各地方紙のうち、意識の高い地方紙はトップページでこれをリンクしている)

●北海道新聞(ある意味地元、いちばん詳細だ)
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?j=0071

●朝日新聞
http://www2.asahi.com/special/jieitai/houjin.html

驚いたことに、毎日新聞も、読売新聞も、もうすでに特集ページは消去されていた。はじめからなかったのか?

●報道系ではないが、このサイトもぜひ見てください。
http://www.creative.co.jp/
(別の意味で真剣さを持っています)

 情報の細やかさがまったく違うのがわかると思います。
 それぞれ意見はあるとして、自分がどんな情報によって、その意見を持ったか、あらためて考えるのも大切ではないかと思うのです。それをどのような個々の思想でもって判断したか、それを本当は問いかけたいのですが。

 それは今や高望み。ホントに高望み、だよ!

4月17日(土)

 どうにもハッキリと分からないコト。
 まだ事態はまったく終息していないのだが、今日、日本人2人が解放されて(よかった、本当によかった)、さらに疑問に思うことは、なぜ、イタリア人は殺されて、日本人は助かったのか。
 イタリアではどんなことになっているんだろう? これが日本だったら、タイヘンだ。どうなっていたか?

 原因と結果の順序を間違えてはいけない、と思う。
 イラクで日本人が拘束され、人質とされ、「自衛隊撤退」を要求された。これを結果としたら、その原因はおもに3つ。

(1)イラクでは多くの人々がアメリカの侵略と占領を必然とは受け入れていないため、好戦的な、非平常状態にあったこと(今もあること)。
(2)ニホンの政府は、憲法を無視し、イラク人の意向も考えず、「非平常状態な」イラクに自衛隊を派兵したこと。
(3)人質となる若者が、国家の政策とは無関係に「非平常状態な」イラクへ入ったこと。

 しかも、時間の経過順に従って、この3つはそれぞれ、(1)が(2)と(3)の、また(2)が(3)の原因ともなっている。
((2)が(3)の原因ともなっているのは、納得しにくいかもしれない。しかし、政府や自衛隊の活動に対して、それを意識して、それができないことをやろうとして、NGOやヴォランティアが動いたように思う)

 公理――責任とは、ある行為が引き起こす結果の原因に対して派生する。

 とするなら――、
(1)の責任は、アメリカ合衆国とそれを支持した諸国(もちろん日本も)にある。イラクにはない?
(2)の責任は、ニホン政府にある。
(3)の責任は、人質となった若者にある。

 したがって、今回の人質事件の責任は、まず第一にアメリカに、次にニホン政府に、最後に若者たち個人に、より少なくなっていく順序で、在るノダ。

 それゆえ、今回の人質事件という結果の原因は、彼らが入国したしたことよりも、政府が自衛隊を派兵したことの方が大きいノダ。

 これが正しい認識だと思う。

 少なくとも、事件の行為者はイラク人であり、イラク人がなぜこのような事件を引き起こしたのか(起こしているのか)、向こうの立場から考えることが絶対に必要ではないか(その拙い分析が上の3つの原因なのだが)。
 ニホン国内の世論として、当の若者たちか、あるいは政府を批判する意見はあっても、事件を起こしたイラク人を批判する、その罪を指摘する意見が少ないのは(ニホン人らしいのだが)おかしいように思う。つまり、なぜ拘束した武装集団の罪を追求する動きがないのはなぜなのか? 自由市民の拘束はあきらかに犯罪ではないか、とボクは思う。

 直接、事件の原因ではなく、事件に拠ってニホン国内が騒然として、政府は慌て、マスコミは奔走し、国民は騒ぎ、身内の人々は心配して焦躁した、そうしたことの原因となると、確かに途端に、イラクの状況とは関係のない問題になってしまうのだ。ニホン国内問題になってしまうのだ。「お騒がせしてすみません」「迷惑をかけて、すみません」になってしまうのだ。
 そうした心情的な責任と、事件そのものの責任とはまったくカンケイがない。全然カンケイがない。因果関係が違う。問題が違う。絶対に違う。

4月15日(木)

二人の35歳の死を悼む。
今夜の深夜。月は三日月か、四日月か。薄く東の空に昇っている。

一人は、イラク人に拘束されて、首を後ろから短銃で撃たれて死んだ、イタリア人に。日本人やアメリカ人の代わりに殺されたイタリアの35歳の出稼ぎ労働者に。
もう一人は、首を吊って死んだ、35歳の女流作家の、知られざる苦悩に。
ボクは哀悼を告げなくてはいけない。ボクの35際という年齢をかけて。まったく、暗澹とした気分だ。

信じられないようなヤバイ状況になってしまった。
おそらく、世界中の不幸の神様が、いまイラクに集結していて、そこから世界中にその手を広げようとしているのだ。
世界中の人間がイラクで起こっているコトと無関係には生きられない世界になっている。にもかかわらず、思考停止状態になっている人間が多い。想像力が欠如している人があまりに多い。

何に死を賭して、なおも生きるか。
そう、誰もが考えなくてはならなくなるだろう。
どこにいようと、自明の平和はなくなったのだから。

日本人3人が助かって、本当によかった。
イスラムの人々は、抽象的に人の命がみな同じ重さとは考えないけれど、救われるべき命があるコトは知っているのでないかと思う。3人が助かったのは、3人がやってきた活動のおかげだと思う。彼らは敵ではなかったのから。
しかし、代わりに捕まった新たな2人がさらに心配だ。おそらく今度は、殺されるだろう。日本の政府の態度が変わらなければ。思考停止状態から脱却しなければ――。

事態は悪化している。


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