2004.Feb

2月10日(火)

 今から50億年後には、太陽は膨張し、地球をも飲み込み、太陽系は滅びる。滅びるというより、また別の姿に変わっていく。
 自然は、宇宙は、いつも人間を超えて進んでいく。

 自然はいつも人間より大きい。

 そういうコトを言おうとしているのだ。
 シェイクスピアは。

2月11日(水)

 民主主義の耐久年数が尽きようとしている。少なくともあと、30年、40年、僕らが生きているうちに「民主主義」という名の美しい幻想は地球上から消えるのではないかという気がする。
 そのとき、われらに必要なのは確かな知恵と慈悲とを持った「王」なのだと思う。歴史はくり返す? いや、くり返すのなら、われらは国家の生まれる以前の古代(縄文)時代まで戻るべきだ。心をこめて。

 虐げられた人々と、動物たちが、こぞって自爆テロをくり返している。

 そういうコトも言おうとしているのだ。
 シェイクスピアは。

2月12日(木)

 もうすぐバレンタインデイ。
 たくさんのチョコレートに乗せて、重軽さまざまな思いが飛び交う。われらは先進国だ。
 でも、そのチョコの元となるカカオの原作国では、黒い顔の人たちが、テレビで「僕らの生活は、先進国のやつらに踏みにじられている」と悲しい目をしていた。

 いまも飢餓に苦しむ人々が世界にはたくさんいる。
 計算上は先進国に集まっている食糧を、世界に均等に分配すれば飢餓はなくなるのに。僕らは今日も飽食に甘んじている。
 何かできることはないのか?

 不況不況というが、やはり恵まれた世界に生きているのだ。
 年収が数千万だろうが、数百万だろうが、もっと違うレベルでギリギリで生きている人々がいるのだ。

 飢えた人々を前にして、演劇にできることだってあるのではないか。

 ギリギリの状況。それを考えないと、
 シェイクスピアは。

2月13日(金)

 そして、国家とは何かという話にゆきつく。
 なぜ愛する家族と離れてまで、自衛隊員は危険なイラクに行かなければならないのか? なぜアメリカで起こった狂牛病で、ニホンの牛丼が消えなければならないのか? なぜ先進国と貧しい国と難民とが分かりあえることがないのか? なぜ税金を払わなければならないのか?

 何によって、僕らは国家というものを信じているのだろう?

 家族を愛するだけではなぜ済まないのだろう?

 外国へ行くとなぜ突然泣き出したくなるのだろう?

 自分が何者なのか、どこの国民なのか、あるいはどんな信念を持っているのか?

 たくさんの疑問の前に立たされる。

2月14日(土)

 夢。現実の理屈をすり抜けてゆくもの。心の真実。
 夢の論理を追い掛けるようなものだ。
 シェイクスピアをやるということは。

 そこには筋道だった一元的な論理の整合性はない。
 たくさんの謎が横たわっている。
 ところが役者というのは謎を謎のまま放置してはおけないのだ。
 そこにいかなる姿であれ、筋道を通していかなければいけない。
 それがいかなる姿か?
 ようするにそれが演出というものだ。
 自己の創造性を一般性にさらさなければいけない。

 まあいい。それはシェイクスピアのことではない。

 演劇は夢に近い。
 現実とはちがう別種の論理が働いている。
 そこが演劇のいちばん、ボクの好きなところではないか。

 夢のなかにこそ人の真実がある。
 どうやってその夢へと観客を巻き込むか、だ。

 これだって、
 シェイクスピア的問題だ!

2月20日(金)

 本番まであと1か月を切る。だがあと1か月もあるのだ。困ったものだ。
 この時間の範囲に僕らは揺さぶられる。
 明日本番だと言っても、人間、何かができるのだ。時間があるから迷い、さまよう。

 ニホンはなんてたるんだ国だろうと思う。

 僕はなんてたるんだ奴だろうと思う。

 だいたい、シェイクスピアに限らず、僕が描きたいのはギリギリの人間像なのだ。そんなボク自身がこのニホンではまったくたるんでしまう。

 やれやれ!

 どこか遠くへ行きたい。
 それが芝居をつくるときの想いだ。

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