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日常とともにリリシズムは変化し、僕の今年の夏は、とうとう沖縄に取り憑かれてしまったようだ。
沖縄が呼んでいるのだ。なぜだ?
今日も見渡すかぎりに
みどりの波がうねる
夏の陽ざしのなかで
一つにはすっかり宮沢和史的世界にハマッてしまったせいだ。
彼がいかにメロディのオリジナリティに悩み、沖縄で「ひめゆりの塔」に向かい、そうして「島唄」を生み出すに至ったかという幻想的伝説を逸話として聞き及び、それが僕の胸を離れない。
いあや、マジで、ホントに沖縄に行きたい!
(まだ行ったことがないのだ! はははは)
昔海のむこうから
いくさがやってきた
夏の陽ざしのなかで
もう一つは、いまは思考の休火山となっている「ペリクリーズ」のことがある。テーマは海なのだ。悲劇と再生の物語。ゆらゆら、ゆらゆら、ゆらゆら、なんか、ずっと揺られているような感覚が、(これまた)「ペリクリーズ」を沖縄へ繋ぐ。
少なくとも「ペリクリーズ」の音楽はチャンプルーズ。これだ!
あの日鉄の雨に打たれ
父は死んでいった
夏の陽ざしのなかで
夏の日射し。やわらかい波音。椰子の木陰。
少年の霊魂が現れて、僕を誘う。
「おかあさん、ぼくは、死んでしまったけれど、毎年、この日にだけは、こうして、あなたの元へあらわれます」
振り向けば、水平線の彼方へゆっくりと日が沈んでゆく。
知らないはずの父の手に
抱かれた夢を見た
夏の陽ざしのなかで
南へ。豊かで貧しい南へ。
トム・ウィングフィールドは、詩集を片手に。
ペリクリーズは、忌わしい運命を胸に。
そして僕は……?
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