演出家のあいさつ「ピアニッシモ」2002年秋

地上にひとつの場所を

 これは、ゴダールの映画のタイトルだったろうか。
 これと同じタイトルで、内藤礼という現代美術家が作品を作り、中沢新一という哲学者がエッセイを書いてるけれど、映画も、美術作品も、エッセイも、奇跡のように、芸術的な、かけがえのないWorksとなっている、そのことを、ボクは言いたいのだった――。
 「芸術、とは何か」――これは、今やますます深まってゆくナゾだ。
 ボク(ボクら)は、この世界の中で演劇を志しながら、しかし、演劇という仕事で食いたいとか、一人前になりたいとか、そういう、ありうべき野望の前にいつも立ちはだかるのが、この「芸術」という言葉なのだ。
 何ゆえに、この科学&ハイテクノロジーの時代に、《肉体》などという再生産不可能な前時代の遺物にこだわるのか? 何ゆえに、この資本主義&産業経済の時代に、《心》などという商品化不可能なモノを扱うのか? いつも、いつも、こんな堂々めぐりの問いかけがボクの中にあるのです。
 たとえば、デザインと芸術の違いは何か、文学と演劇の違いは何か、そんな問いかけの中にも、ボクは同じ問題を見るのです。売れるデザインは本当にいいものなのか? 売れる小説は本当に面白いのか?
 或る人は、「今や芸術は危機に瀕している」と言います。ならば、宗教も同じ、哲学も同じ、倫理も同じだと思うのです。「快楽原則」を優先する、この民主主義という名の資本主義社会では、気持ちのいいモノだけが価値あるものですから、結局、芸術も、宗教も、哲学も、倫理も、とても気持ちよくない、退屈な、「学問」のようなものでしかないのだろうか? いや、そんなコトはないだろうと、そこには、むしろ、極上の快楽が人々を待ち受けているのじゃないか、ただ、快楽ばかりではない、人生と同じような苦悩や煩悶や沈痛もあり、そうした「深さ」に対して、人々が鈍感になっているということなのじゃないかと……。

 そうした中で、今年の7月にTPTの演出家ワークショップでの、デヴィッド・ゴサード氏との出会いは、ボクに、かけがえのない勇気と光を与えてくれたのでした。
 彼は、60〜70年代にベケットやブルックやカントールや寺山修司などと共に仕事をし、さらに、戦跡生々しい混乱のコソヴォで国立劇場を立ち上げるというような、非常にタフな仕事をこなしてきた、現代世界においてはまったく希有な演出家の一人なのですが、その彼が言いました――「廃虚の中のコソヴォの人々にとって、『ハムレット』は、まさに、真実、自分たちの物語だった」と。――徹底的に排除され、破壊された人々にとって、芸術は、芸術こそは、かけがえのない、最後の「価値あるもの」だったのだと。
 じゃ、今、ボクらは、この現代のニホンに生きるボクらは、今、どこにいるんだ?
 そういう問いかけが、今回のボクの「ピアニッシモ」の出発点でした。今回、題材としました、太田省吾氏の作品は、それこそ、あまりにも芸術的で、再生産不可能、商品化不可能な「価値」を持った世界です。しかし、まさに、それゆえに、ボクらの現代のニホンを生きている、この混乱と不条理を描くに足るものだろうと、そう考えたのです。

 つまり、「地上にひとつの場所を」なのです。
 ひとたび「芸術」を自認するならば、「地上にひとつの場所を」つくることが宿命だと思うのです。
 なにか、ささやかなもの、いたいけなもの、傷やすいもの、ヴァルネラブルなものを、ひととき、救い上げられるような「ひとつの場所」をつくることが、今のニホンの「芸術」なのじゃないかと、不遜を承知で、そう思うのです。
 まったくない、なにもない、舞台装置も、照明の効果もない、この公演こそ、ホントにささやかな、だからこそ、とても大切ななにかを伝えることができるのではと、疑いもなく信じているのです。
 本日はご来場ありがとうございました。
 とても限られた日数の中で、あわただしい日常の中から、この場へと足を運んでくださったという、この事実は、まさに奇跡のようであります。できれば、なにか、ここでの出会いでしか生まれなかったであろう、ひとつの「宝石」を持ち帰っていただけたなら、これ以上の幸せはありません。

JIN
2002.10.24


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