演出家のあいさつ「ガラスの動物園」2003年秋

とりかえしのつかないコト

 あのころ、ボクは社会を信じていませんでした。今だって、信じているかどうか、はなはだアヤシイのですが、それでも、社会なしには生きられないと、そう思いこまされるほど、オジサンにはなってしまったようです。
 ときおり、若かったときの自分を思い出し、背筋が寒くなるときがあります。ナイフのようにするどい感受性をふり回して、何かがしたくて、何かを手に入れたくて、周りに「自分」をおしつけていた、あの時代、ボクはとりかえしのつかないコトをたくさんしてきたような気がします。頭のなかの世界が、外の世界と対応するはずだと、あのころ、ボクは信じていたのでした。
 ボクが大学で書いた卒業論文は「人間の自由に関する考察」でした。そのころ、まだ世界にはソ連があり共産ケンもあって、世の中じゅうに「こことはちがうどこか」というオルターナティブな可能性がただよっていました。そんな空気がなければ、いくらボクだってあんなにボウジャクブジンな青春時代を送らなかったと、今ここで弁解したいわけではないのですが……。
 21世紀になって、もう4年が過ぎようとしています。見えてきたのは、資本主義世界の支配のなか、無視されていく少数者たちのかなしみだけです。そのなかで否応なく、ボクらは、日本という国家に、こちら側の世界に属すことを強要されています。あまりにも自然に。あまりにもおろかに。
 世の中がますます青春時代の暴走を許さなくなっている気がします。頭のなかの世界が、外の世界と対応する可能性などもはやありえないという感じです。頭のなかの世界は、外へ飛び出す前に、ネットやゲームやフィギュアやコスプレのような消費文化の中へ回収されています。演劇だってそうしたダイショウコーイの一つにすぎないのかもしれません。それでは、若者たちは、若者たちの夢は、今どこへ向かうのでしょう?
 もちろん、ボランティアやNGO活動などを通して、自分がいる場所から出て行こうとしている若者もいます。こことはちがうどこかへ。遠い場所を夢見る人間の能力がなくなってしまったわけではないのです。
 演劇を作る、あるいは見るコトが、こことはちがう、遠くのどこかへ人をいざなう旅になれば――。それが今、ボクが夢想している何かなのです――。

10/10/2003 Jin