「一度目は悲劇、二度目は喜劇」


3月12日(月)

 予告された宣告のように、ケイコは第2週目に入る。
 芝居一本終わったばかりのI.M.氏が初登場。終わったばかりどころか、LABO! に参加するのは、今回が初めてである。初めての人にはつい、ボクは気をつかってしまうのだが、気を使っているとはぜんぜん受けと取られないところが悲しいところだ。

 しかし、Kのテンションの低さは気になる。あれでは後輩身分のRやAにしめしがつかねえ!
 てやんでええ! しっかりしやがれ!

 ふたたび、「摺り足」のような、Nの「歩行」のレッスン。2度目というのは不思議だ。一度目は悲劇だが、二度目は喜劇になる、といったのはマルクスだが、この練習の二度目は、悲劇的でもあり、喜劇的でもあった。前回を「経験」した人たちには、じつにしっくりと動きがなじんで来た気がする。が、一度目を知らないで、一度目じゃないところから参加した人間は、一度目でも二度目でもない宙ぶらりんな立場に置かれてしまう。
 やはり戦争も、一度目を知らないと、「なにがいけないのか」よくわからなくて、宙ぶらりんになってしまうのだ。「あの」戦争を知らない世代にとって、なぜ、今の日本がこんなふうになっているのか、どうして理解できるだろう?二度目がないとどうして言えよう?

 軍隊を持たない「国家」など、ほかにはないのだから……。

 しかし、こんなことを言ってしまうと、人はボクを右翼的だと思うだろう。能や狂言なんて、日本の伝統を取り扱おうとしてるし。しかし、ボクはぜんぜん日本なんてどうでもいいのだ。ただ、チェーホフと同じょうに、能や狂言が面白いから遊んでみるだけなのだ。
 それより「国家」という幻想をどうにかして、霧散してしまいたいと思う。

 ああ、この日誌は事実だけを書くはずなのに……!

 今日は、I.M.氏の初登板だったので、彼の出番をなぞるように読んだ。やはり役者として実際的な感覚を持った人である。こういう人といっしょに仕事をするのは初めてなので、楽しみだ。

 『葵上』のMとNのアンサンブルは面白かった。彼女らはお互いを尊敬している。どこかでなにかをハズスことはないように思う。役割分担をハッキリさせて、一つの心情を共有するようになればきっと面白くなると思う。

 それにRのノリも前向きになってきた。外の舞台で芝居をするには、LABO! はちょっと独特の時間感覚をもっているかもしれないが、その時間の「意味」をわかってくれればと思う。まあ、この公演の終わる頃には……。

 まるで、ひとつひとつパーツをはめ込んでいくジグソーパズルのように、集団が出来上がっていく。まだ完成された後の「絵」は見えない。しかし、それまでの過程が「ソライロノハナ」という物語であり、客はそれを楽しむのだ。

 春よ、来い!



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