「経験」することに「嘘もクソもあるか!」


3月6日(火)

 すでにして行き詰まる。まあ、詰まったわけではないが、壁にぶち当たる。あるいは、あきる。1日という時間で、人は多くのコトを悟る。悟る? あるいは忘れる。そして慣れる。

 いつもと同じ課題。ムダはなにもないということ。この時期にしなければならないことは、「経験」することだ。
 たとえば、歩くことを経験する。また、歩くことを経験する。これで二度歩いたことになる。三度目はあるか? なかった。なかったなら、二度歩いて、三度目はなかった、ということを経験したのだ。それでいい。そこにどんな意味があるかって? 意味なんて知ったことか! 

 それにしてもスケジュールが難しい。やるべきことは山のようにあるのだが、今回だけは、最短距離でいかなかればいかない。これはなんという目標だろう。空から見ただけでは、その街にどんな人が住んでいるのかなんて、わかろうはずがない。かかる時間はかかる。

 Rのいうことにはもっと時間をかけて耳を傾けなければいけない。複雑な要素がからんでいる。それにしても、よくぞ話をもちかけてくれたと思う。感謝。感謝だ。彼の問いかけにこちらがよく答えられたかどうかは自信がないが。

 そう、「経験」というのは、ただの「経験」ではないのだ、誰かと同じ「経験」をするという意味なのだ。それいがいになんの意味があるだろう?

 一人ではなにもできない……。
(才能というのは、その個人の中にあるのではない。カンケイの中に受胎されるものなのだよ!)

 同じように、「物語」というのは「ストーリー」のことではない。「物語」というのは「作りごと」ではない。「物語」というのは、「経験」だ。集団の経験だ。
 と、すれば、「物語」は、脚本のなかに「在る」のではなく、この時期の稽古場での「誰かとともに経験」することのなかにある、のだと思う。
 すでに「ソライロノハナ」という物語ははじまっている……。

 Nice job!
  (おつかれさん!)



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