声帯は寂しがりや?


3月2日(金)

 さて、2日目だ。
 H改メ、Uさんが顔を見せる。みなのんびりとした調子。ボクもやるべきことはわかっているから、いつものような焦りはない。だが、さまざまなスケジュールの都合、全員が集まるのは、2、3週間先になるだろう。スケジュールの調整がすべてを決する点、なによりも心してかからねばならない……。

 いつものようにアップの後、発声練習の途中で、舌の緊張のついてレクチャー大会になった。LABO! 的には当たり前のことだが、それほど、あらためて押さえておかなければならないほど、新顔や若手が今回は多いのだ。と、いっても3、4人だが……。

 舌の力を抜くことは難しい。
 舌に関する発声の科学だけとってみても、いかに日常とは、日常でしかないものかが分かる。「舌を使わずに、声帯をコントロールすることができなくなる」というのが日常というものの実態なのだ。舌を突き出しながら、「あー」と声を出してみよう。あなたの意志に反して舌がどんどん奥に引っ込んでしまうだろうから。

 本来、声帯をコントロールすべきなのは、舌ではない。舌ではなく、腹筋、背筋、斜腹筋という、横隔膜と直結している一連の筋肉なのだが、これを自在に使いこなすのは極めて難しい。これが完璧にできるのは、生まれたばかりの赤ちゃんだ。赤ちゃんの泣き声がすざまじいのは、発声が完璧だからである。
 われわれは、日常の中で、年を取るにつれて、完璧な「発声」を失ってしまう。世阿弥のいう「花」と同じである。

 アンサンブル、歩行(摺り足)、『鶏聟』の本読み、『清経』の本読みをした。

 狂言的な空気に関しては、センスが明解に分かるが、能のコーラス隊とシテの関係については、センスを汲み取るのが難しい。どのポイントに入れば面白くなるかというのは、わかるのだが、そこには一朝一夕に到達できない……。

 Mのいうように『清経』はもう少し、テキストをコンパクトに整理しなければならないだろう。

 Sは、今後も自我との戦いになるだろう。『ジョバンニ』の時よりは、役者として逞しくなった気がするが……。



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