平家物語とビン・ラーディン


 何百年後、おそらく僕らの名前などは跡形もなく消え失せているだろうが、今この冬のはじまりに、カラコルム山脈の一角で暗殺されようとしている一人の痴れ者の名は、おそらくまだ残っているだろう……。
 そしてそのときには、なぜ世界中の人々から恐れられ、嫌悪され、悪者扱いされたのかは、よくわからなくなっているのに違いない。そのときにはもう、今ボクらを覆っている、現代の文脈というものはわからなくなっているからだ。今だってよくわからないけど……。

〈世界が進歩しているというのは、幻想だ……。〉

 ボクもあなたも、心の中では「悪は死ね!」と思っている。
 しかし、コトはそう単純には転がらない。ラーディンの肉体は死んでも、彼の存在は「物語」となって、長く長く語り継がれることになるであろう。それも、彼を慕っていた人々のあいだだけでなく、彼を恐れ、敵対し、排除した側の人々の間でも……。

 たとえば、ドラキュラ伯爵がそうだ。ジャンヌダルクだってそうだ。キリストだってそうかもしれない。その当時はみんな「邪悪な者」としてこの世から排除されたのだ。人々は、その「抹殺」に狂喜乱舞したのだ。
 日本でいえば、菅原道真や平将門が、源平の戦争で破れた平家もそうだろう、みんな朝敵として疎まれ、この世から排除された肉体だ。それが今も、別の「体」を得て、人々の想像力の中で生きている。畏敬されてすらいる。

〈人間が進歩しているというのは、幻想だ……。〉

(麻原ショーコウを、あくまで一人の国民として、特別扱いせずに(多くの国民の心情はそうではなかったが)、殺さず生かさず、フツーの裁判にかけ、煮込み料理にかけている、日本の当局のやり方は、むしろバカ正直なまでに、賢明と言わなければならないだろう。脱伝説化のために。)

 人間の「物語る」能力は計り知れない。この科学文明の現代でもそれはぜんぜん失われてはいない。むしろ現代のマスコミこそ、その一翼を担うものであり、インターネットがさらにそれへ加速を加えている。
 人間の心理は(=民衆の欲望は)、けっして国家を支持しない。(国家を支持するとき、それはファシズムとなり、またテロ国家ともなるのだ)

〈倫理が進歩しているというのは、幻想だ……。〉

「平家物語」が生まれたのは、平家の滅亡からわずか30〜40年後である。そののち何百年ものあいだ、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」は人々を、一般民衆を魅了し、感涙させ続けてたのだ。そして、その怨霊を鎮魂しようという意思が、世阿弥に「猿楽能」という多くの傑作を書かせたのだ。

 そのような民衆(の想像力)まで撲滅することは、アメリカにもできまい……。

 いつか(おそらく今世紀中に)、この「テロと報復」という名の事件が、さらに大きな反動となって、世界に返ってくることになるだろう……。
 地球上に生きる人間のすべての頭の上に……。

 

2001.11.22
JIN


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