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地図のような人生、その2
よく、町の夢を見る。
そこは、かつて、よく知っていた町のようでもあるし、メチャクチャな、未知の町でもある。
そのなかで、ロンドンは、僕にとって第2の故郷となった街である。
東京もロンドンもよく似ているが、僕にとっては、ぜんぜん違う。
山梨の田舎から出てきて、東京ではじめて一人で暮らしはじめた時は、自分の城をもったという実感もあり、親元を離れた自由さもあり、かなり興奮したものだが、しかし、僕は一度として、この大都会を自分の故郷だと感じるコトなく過ごして、今にいたるように思う。
今げんざい、東京で暮らしながら、僕は、長い長い孤独な旅を続けているような錯覚に落ち入ってしまう……。ここはどこなのだろう?
短いながら、僕が過ごしたロンドンは、そうではなかった……。
あそこは、僕の「街」だった。
あそこで、僕は第2の青春を謳歌させてもらった。
あそこでは、田舎者は、むしろ主役だったのだ。
ロンドンはじっさいにも、その、街の規模は東京よりも小さい。
山の手線の外は、すべて、ホントウの田舎になってしまうような世界だ。
その田舎から、僕は毎日、セントラルラインで、都市部に出ていく。
都市部には、都市部の良さもあるが、周辺の住宅街にもそれなりの良さがある。
でも、エリート階級の裕福な人々は、もっと周辺の、緑豊かな通勤圏から通ってくる。都市部にしがみつくのは、移民の貧乏人だけだ。僕は、その中途で、アジア人らしく、地下鉄で、都市部に通っていく。
そして、都市部には、さまざまな、いかがわしい民族がハジけている。
そういう状況が、とてつもなく居心地よかったのだ。
東京ではないよね。そういうこと。
そのころ、『中央線』という、The Boomの歌が僕はすごく好きで、僕は毎日、孤独な日本人の心を抱えながら、The
Boomの『中央線』をウォークマンで聞きながら、ロンドンのセントラルライン(中央線)を通っていたのだ。
今でもよく夢に見るのは、セントラルラインの途中にある、「ゲート」や「ブッシュ」という街のことだ。
夏のことだった。
そこらあたりは、ポートベローという、有名なマーッケット街で、週末はいつも賑わうのだが、その夏のひとときは、特別に異常だった。
ジャマイカンのエネルギーが弾けていた。
南米のカーニバルが、抑圧された少数移民のパワーが、弾けていた。
駅を降りると、町中を揺るがすような、爆竹の音がする。
カーニバルに同調するための笛が売られていて、僕は思わず買ってしまう。
フランス人の友達は、やや懐疑的。それでも、広場で、集中的にやっていた、ライブのコンサートでは彼女たちのほうが大きく腰を振っている。
そここでは、マリファナが解禁で、みんな、グデングデンに酔っている。
都市が、知性が、少数民族に占拠されていた。
そういう空間で、僕は、すこぶる心地よかったのだ。
僕は、けっして白人ではない。
僕は、世界を牛耳るヨーロッパ民族の仲間ではない。
僕は、ここにいる。ここは、僕のいる場所だ。
そういうことがわかったのだ。
そういう場所を、東京に作りたいと、思った。
世界はいま、よくも悪くも、ヨーロッパ民族に牛耳られている。
しかし、われわれは、その仲間には含まれていない。
われわれは、あくまで、マイノリティーな少数民族だ。
そう言おう。
そう言っていこう。
マリファナを吸いながら、夢の中で、カーニバルが、いつも、いつまでも、僕の中で続いている。
2002.02.10
JIN
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