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そんな暗いのは嫌だ、といっても人は死ぬのだ。
能、というものが、今なぜそんなに僕の心を捕えるのか。それは、生きるのが辛いからだ。なんとしても辛いからだ。修羅場だからだ。
それは、こんな詩にあらわれているように思う。
間際
死ぬちょっと前の
そんなときの考へを聞いて見ても
もう何の足しになるものではない
それだのに
その間際のきみを知りたいといふのは
生きてゐる業がさう呼びかけるのだ、
一体何をおもひうかべたのだろう、
誰もそれは知らない
知っても何にもならない、
それなのに
僕は妙にそこに心が惹かれる。
死ぬ間際ほど世界が
きらびやかに見えることはないであろう。
……
だからって、その「きらびやか」なものを欲している、というわけではない。とてもじゃないが、死に、人生を盗まれるのはたまらない。
しかし、しだいにリアルに感じ始めていることは、白州正子さんのいうように、「(能の世界では)死んだ者たちが、幽霊となって現れる。幽霊は、生きている者たちより、現実的な存在なのだ」という感覚だ。
それもすべて、生きているのが辛いからだ。
しかし、負けるものか、と歯を喰いしばれ。
バシッ! バシッ! バシッ! バシッ!
能は、けっして後ろ向きのメッセージではない。それどころか「死」とともに、力強く生きていくための、心の杖となる物語だ。なぜなら、「幽霊は、生きている者たちより、現実的な存在だ」という感覚は、「だからこそ、生きなければいけないのだ」という勇気へとつながっていくものだから。
「幽霊たち」の現実的な、純粋な、怨念を背負って生きろ!
能は、そう、僕らに呼びかけている。
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