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なんの感動もなく21世紀が始まった……。 かつて、僕はあらたまった顔して、如月小春にこう質問したことがある。 しかし、僕としては、自分に、こう答えるであろう。 21世紀がどんな時代になるのか、それはわからないよ。100年単位で、時間を把握するなんて、歴史学でしか意味のないこと。むなしいよ、と生身の僕はつぶやく。 100年前、20世紀のはじめに、チェーホフが書いた台詞―― ヴァルシーニン そうですなあ……、ひとつ、空想の羽をひろげてみましょう……。例えば、われわれが死んだあと、2、300年後の生活はどうなっているか……? トゥーゼンバフ いいでしょう……。われわれが死んだあと、人は、軽気球で空を飛びまわるようになって、背広の型も変わり、それから、第六感というやつを開発して、応用する技術を見つけるかもしれません……。でも、生活は依然として今のままですよ。生活は、やっぱりむずかしく、謎に満ち、幸せに満ちているでしょう。1000年たったって、人間はきっと溜め息をついて、不平を言ってますよ、「ああ、生きるのは辛い!」ってね。……それだけじゃない、まったく今と同じように、死を恐れ、死にたくないと思っているでしょうねえ……。 ヴァルシーニン (ちょっと考えて)そうでしょうか……? 僕の感じでいうと……、地上のものはすべて、いつかやがて変化しなくていけないんです……、現にいま、われわれの目の前にあるものだって、変わっているじゃないですか……。それが、あと200年、300年、あるいは1000年たったら――そんな、期限なんか問題じゃないけれど、……生活だって変わりますよ。新しい幸福な生活がやってきますよ……。もちろん、われわれは、その生活に加わることはできないけれど、その、新しい生活のために、いまわれわれは生きている。働いているんです。そして苦しんでいるんです。それをつくりつつあるんです。……それこそ、われわれの生きる目的なんです。違いますか? われわれの幸福もそこにあるんじゃないでしょうか……? きっと、21世紀にも、世界中で、チェーホフは上演され続けていくだろう、と思う。 「新しい人間」はあるのだ……。 |