『さよならは別れの言葉じゃなくて、
ふたたび会うまでの遠い約束……』

 相米慎二監督が死んだ。
 という訃報を知った途端、あの歌が、僕の頭の中で鳴り止まなくなってしまった……。

 相米さんは僕のいちばん好きな映画監督だったのです。
 彼が若手と言われた頃、僕はまだ中学・高校のまさに多感な時期で、そのせいかもしれません、相米さん、僕は、あたなたちディレクターズ・カンパニーが頑張っていた頃の日本映画界がいちばん好きでした。

 いまのように、北野武や岩井俊二がハリウッドやMTVの手法を取り入れる前の、日本映画界の主流はまさにあなたたちだったと思います。あなたをはじめ、根岸吉太郎監督や井筒和幸監督、それからちょっと異質だったけど森田芳光監督が僕の映画体験のはじまりでした。

 その通り!みんな、角川映画で出会った面々です。
 しかし、そこからそれぞれの独特な映像世界に惹かれていったのです。

 そのなかでも、あなたはいちばん光っていた。僕にとって。青春そのものでした。

 ショートカットのセーラー服の少女が機関銃をブッ放して、つぶやく「カ・イ・カ・ン!」。
 そんなあざとい、広告的な演出も、いま思えばあなたのものだったのかもしれませんが、それよりも僕は、あの映画では、最後に人ゴミに飛び出して、スカートを翻してクルクル回る薬師丸ひろ子を、上空から俯瞰している絵の方が好きでした。それから、屋上で卒塔婆をドラム缶で燃やすのも好きでした。

 そういえば、あなたはいつも「屋上」に神秘を宿す人でしたね……。

 最近の作品はあまり見ていませんが、斉藤由貴主演の家族映画『あ、春』でも、いちばんあなたらしくて、思わず「はあ……」と溜め息が漏れたのは、屋上で登場人物たちが水を掛け合うシーンでした。例によって、車椅子の浮浪者のような謎の人物たちがいたりして。

 そう、あなたは謎なぞを絵の中に仕込んでおくのが好きな人でした……。

 子供じみた大人や、ゆがんだ形象や、悪夢のような象徴をさりげなく、目の端に添えて、それで世界を見えない次元へと開く人なのでした。
 思えば、それも寺山修司さんなどから受け継いだ手法だったのかもしれません。しかし、その、観客の無意識にひっかかって、ぶら下がる、さりげなさが、僕には絶妙な手腕に思えました。(寺山さんはもっとあざとくて、執着気質の人でしたから)。あなたが何を描きたいのかが、というより、この日常性とどんな想念の世界とをリンクしたいのか、僕にはよくわかる気がするのでした。

 『魚影の群れ』は、いっぺん変わってリアリスティックな絵でしたが、ありえないような長い石の階段を(あるいは坂道を)自転車でのぼっていく、夏目雅子さんの遠い背中が好きでした。

 そう。あなたの、女性を遠景から眺める視線がたまらく好きでした。

 『台風クラブ』のラストシーン。
 水たまりの校庭をスキップしてゆく、工藤夕貴の背中も同じものかもしれません。
 そこには答えはないのです。

 唯一のポルノ映画(『ラブホテル』)で、速水典子がベッドに縛りつけられて、アソコにバイブを挿入されたまま悶えて、失神する絵にも、いま思えば、あなたの女性への同じまなざしを感じます。

 あなたはどこかで女性というものを、遠く、冷たく、しかし無限の可能性をもって見つめていたのでした。

 そして、なんといっても、圧巻は『ションベン・ライダー』です。
 僕はいまでも日本映画のベスト5に入る名作だと、個人的に数えております。
 印象的なシーンなんか数えれば切りがありません。

 僕はあの映画を、田舎の饐えた映画館で、『うる星やつら』の同時上映で見て、なんの予告もなくシビレてしまったのです。しばらく席から立ち上がれなかったのを覚えています。
 あなたの代名詞にもなった「長い回し」が、あんなに自由奔放に展開していた映画はほかになかったのでないでしょうか?
(『ションベン・ライダー』は、永瀬正敏と河合美智子が、シロウトのオーディションから抜てきされてデビューしたというだけでも伝説的な映画です。それだけなく、ヴェム・ヴェンダースの傑作にも勝るとも劣らない、ロードムーヴィーの最高傑作でもあると思います)
 それでいて、あんなに不可解な映画はないと思うような映画です。

 切ない夏の光……。
 横浜のダルマ船……。
 原日出子の口にくわえられたパンティー……。
 ピエロのメイクをした藤竜也……。
 水しぶきを上げて転がる丸太……。
 燃え上がるプレハブ住宅……。
 (火と水の戦い、これもあなたのお得意のテーマでありモチーフだったのかもしれません。)

 すべてのイメージが、これ以上ないほど透明で、クリアーで、鮮烈な心象風景でした……。

 僕はいま舞台演出家として、その末席に加わろうとしている身ですが、あなたほど影響を受けた演出家は日本にはいないように思えます。演劇の世界に身を置くようになって、僕にとって映画はいつでも「敵」でありました。演劇の人間は多少なりとも映画に嫉妬していて、その嫉妬に身を委ねないように、という意味で「敵」でありました。しかし、あなただけは違った。あなたと小津さんだけは違った。演劇を志す僕にとっても遠い、遠い遠景にいる永遠の「師匠」のようであります。
 見る者の無意識に訴えかける手法を心得、見えるモノのすべてが、映画ではないことを知っていた、そういう、あなたのまなざしが、僕にはかけがえのないものでした。

 いまはまだ混乱した魂でもって、本物の台風とともに、冥界をさまよっていることでしょう。
 大好きだった女優たちの面影がチラついているかもしれません。
 またふたたび遠いまなざしとともに、カメラをたずさえて、この世界に生まれくることを祈っています。

 これは、きっと、おそらく、それほど悲しいだけの分かれではないと思っています。
 さようなら……。またいつか……。ありがとうございました……。

 合掌。


jin, 09/10/2001


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