月なんてまだまだ近いよ、木内サン!

青空美人『月の歩きかた』を見て

 どう書こうがこれは批判になってしまうのだから、せめて自己批判も含んでいてほしいと、そうオノレに言い聞かせて書き始めよう。
 木内サンの80年代的遺産について。

 ほかにはないほど、肥沃で豊かなナイル川流域に繁茂した古代エジプト人の文明は、まるで母親の胎内で一生を送るような、羊水に満たされてたゆたうような、距離感のない人生だったようだ。そこでは言葉に、主体と対象をきっぱりと分ける力=ロゴスの力はなく、まるで言葉は魔術の呪文のようだった。生まれて間もない赤子の発する「ああーっ」「いいーっ」という音が、母親を慌てさせる、走らせる、そんな力より以上に、言葉はほかの力は持ち得なかった、ということだ。
 80年代のニホンで青春を送った世代の木内サンは、それ以前、それ以後のニホンを見渡しても、ほかにはまったくなかったような時代に産声を挙げた演劇人なのだ。70年代は直接には知らず、90年代の波にも乗り込まなかった、そういう宙をさまよう人種なのだ。
 80年代(の、特に後半)にニホンに起こったコトは、ニホンにおける空前絶後の好景気=バブルではなく、心の中の想念が、外の現実と抵抗なくマッチしうる可能性の全開状態、これ以上ない肥沃で豊かな精神空間だったのである。ボクらの頭の中にも、外の世界にも同じ「羊水」が満ちていて、それを通じて内と外とがメビウスの輪的にスムーズにつながっていたのだ。
 誰でもがそうだったワケではない。ある種の母胎的なシェルターの中にたゆたっていた「おぼっちゃま」的な少年たちだけなのだが。木内サンもボクもどうやらそういく80年代的エジプト人の末裔なのだ。

 そういうワケで、やはり、相変わらずの「羊水のたゆたい」を感じながら、青空美人を観たのだった。

*   *   *

 しかし、そうした距離感のなさを埋めるコト自体がとうとう、木内サンの戯曲の主題になったのだった。埋める、というよりも正確には離陸するコト、重力から抜け出すコトなのだった。
 月の重力は、地球の6分の1である。その6分の1だけ体は軽くなり、自由になる、と同時に、地球にしばられていた日常的自由は不自由になる。そうしたジレンマにわが身を置こうとしたのだった。ブレーキを踏みながら、アクセルを踏むような行為なのだが、ブレーキから足を放すくらいなら、アクセルを踏みとどまる方を選ぶだろう。ただでぶっ飛ぶのは無意味だと思ってしまうのかもしれない。
 とにかくそうして、作家的木内サンは月へと離陸していったのだ。日常世界を鏡の向こうへ押し退けて。羊水を蹴やぶって、しめった大地から、乾いた月面へ。

 そうして、果たして、彼は自意識の枯れ野まで無事、辿り着けたのだろうか?

 実は、
 月はたえまなく地球へと落ちている。
 地球もたえまなく月へと落ちている。
 しかし、わずかずつだが、公転している遠心力の方がまさっているので、月と地球の距離はわずかずつ、離れていっている。
 だがやはり、月はたえまなく地球へと落ちていて。地球もたえまなく月へと落ちていて。さしあたり、両者は、地球の中心から、地球半径の4分の3のところに共通重心をとりながら、互いにぐるぐる回りあっている父と息子のようなものなのだ。
 このことは驚きだ。地球は自転しながら、かつ、オノレの4分の3ほどブレながら(月の重力のために)、太陽の周りを公転しているのだ。

 だが、しかし、木内サンの日常は、月によって、その4分の3も脅かされなかったようなのだ。
 彼の普遍的な問いかけは、月面であるかぎり成立しているかのように見えて、月面であるからこそ持つべき力を持ち得なかったような気がするのだ。
 つまり正しい答えを求めるための、正しい問いを見出せなかったようなのだ。
 なぜか?

 木内サンは、自然の脅威をホントには知らない!

 そういうコトなのだ。自然がいかに人間を蝕むか、破壊するかをしらないのだ。

*   *   *

 あの、マジカルだった80年代を越えて、いま、いかに創造するか、それが、たしかに、ボクらの課題なのだ。
 遠くへ、できるだけ遠くへ、それが課題なのだ。

 月へと向かった、木内サンの想像力をボクはバカにしない。月はいつだってあの80年代の残滓を思い起こしてくれる、ロマンチックな重力天体だもんね。
 だとすれば、本当にアナタは離陸しようとしたのか?
 そういう疑問が、木内サン、ボクには沸いてくるよ。

 月と地球はじつは、あまりに絶妙なバランスを取っていて、そこには破綻なんてないんだ。
 まるで、「巨人の星」的父と息子の関係だぜ。母子カンケイにしても同じだけれどさ。

「月なんてまだまだ近いよ、木内サン!」と言いたくなるのだった。

2004.04.27
JIN