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システムの外へ、あるいはトムの夢へ
古谷 実『ヒミズ』(講談社コミック)を読んで
これほどに現代の少年たちの心の実情を描いたマンガは、あるいは文芸はないという噂にのせられて、僕は『ヒミズ』を読んだ。
読んで、泣いた。泣いて、深い衝撃を受けた。
ここには、一方に泣ける甘さがさあり、一方ににっちもさっちもいかない実存の瀬戸際がある。これは現代の「ハムレット」だと思った。あるいは「かもめ」のトレープレフだ。
To be or not to be?
現代の少年たちは(も)、いつも、こういう究極の問いの瀬戸際にいる。
物語は、母の裏切り、父への不信=憎悪から、一人の少年が世界と闘い、さまよう、どん底の1年を描く。最後には、ハムレットのように、トレープレフのように、彼も消えてゆくのだが……。
To be or not to be?
という、この問いが、まったく今の文脈の中で展開される。切実だ。
こういう現代の傑作を、「ハムレット」のような「文学」に比する僕を、人は、安易にと揶揄するかもしれない。しかし、僕は、昨年のワークショップで、デヴィッド・ゴサードからシェークスピアの手ほどきを受けたとき、特に「ハムレット」の現代性について教えられた後で、参加者の前で思ったことを言ったものだ。
「現代ニホンで、ハムレットを探すなら、神戸で連続殺人事件を起こした14歳の、あの少年ではないか」と。参加者はみんな「???」、ポカーンとして聞いていたが、やはりそうなのだと思う。
あの、「サカキバラ」なしには、『ヒミズ』はないだろう、と。
結局、夢見る余地のことだ。
世界は(少なくともニホンは)、90年代はじめの冷戦構造の崩壊で、決定的に、その「余地」を失った。それでも、崩壊した当初は、反動でいろいろな試みがあったのだ。政権も変わったりした。が、そうした、流動的な可能性のすべてが、オウムの事件でまったく完全に消滅したのだ。社会からは、システムの外側にある「理想」を夢見る力が完璧に失われた。それが、1995年以降の時代なのだ。
なぜ、オウムが起こったのか。なぜ、多くの優秀な若者があのような集団に惹かれたのか、そのことを社会は、大人たちは、マスコミは理解しなかった。ただ、それを、少年たちだけが理解した。この社会システムの外側に、夢といってもいい、理想世界といってもいい、「何か」がなければ、生きてはいけないのだということを。
しかし、以後は、社会システムだけは一方的に、圧倒的に、強化された。
そうして、そのジレンマの極端な爆発として、「サカキバラ」が現れた。人々は恐怖し、少年たちは彼に秘かに憧れた(けっして池田小の宅間には憧れない。醜いからだろう)。
しかし、その憧れも年を取るとともに否定されていった……。
14歳の少年ももう20歳だ。
で、さらに、9.11だ。
ますます、時代は、世界中で、システムの外にいることを許さなくなっていくのだ。大文字の「正義」がまかり通っていく。
「お金で買えないものはあるの?」
「なぜ人を殺してはいけないの?」
「なぜ売春はいけないの?」
「なぜ自殺してはいけないの?」
「いいじゃん!」
「…………」
誰もそうした、子供たちの問いに答えらえられなくなってしまった……。
答える力を失ってしまった。
あるいは、何度でも、何度でも、しつこく「いけないんだよ」「いけないんだよ」「いけないんだよ」と、くり返す、執念を、信念を失ってしまった。
そうした時代条件の中にいる、苦しい少年たちを、『ヒミズ』は描く。
そこで、ただ、ハムレットよりもトレープレフよりも悲惨なのは、このシステムの外に「何か」があることを想像することすらできなくなっていることだ。法律や社会通念そのものを相対化できずにいることなのだ。
なぜ?
なぜ?
「ガラスの動物園」の主人公、トム・ウィングフィールドも、もう一人のハムレットなのだが、しかし、第二次世界大戦の「直前」にいる、彼はこういうのだ。
見ろよ、あれを……あの、輝いている連中を……連中が、冒険という冒険を独占し、むさぼってるんだ! わかるか? その結果、人は、自分で行動するかわりに、映画へ行くんだ! ハリウッドのスターたちが、世界中の人間になりかわって冒険して、世界中の人間は、暗い部屋に座ってそれを見てるんだ! でも、それも戦争が起こるまでだ。戦争になれば、冒険は大衆のものになる! みんなの分け前になる、クラークゲーブルだけのものじゃない! 暗い部屋にいた人々は、暗い部屋から出て行く! 自分たちの冒険のために! そうさ、そうさ! 俺たちの出番だ、さあ、南の島へ……冒険旅行へ……はるかなるエキゾチズムへ! もう待てない。待ってなんかいられない。映画は飽きた。出かけるんだ。
トムはここで、ナント、こぶしを握りしめて、戦争すら肯定するのだ! 「世界は爆撃を待っている!」(もちろん核兵器がない時代だからだが……)
しかし、夢を見るのである。この社会とはちがう、自分の真実に生きることのできる、オルターナティヴな世界があることを。
こういう力はどこから来るのか?
父なのだ。
え?
父なのだ。
そのことが、僕にも少しずつわかってきた。
トムは言う――。
俺は父親似なんだ。イカれた親父のイカれた息子さ! 見ろよ、あの笑い。もう十六年も行方不明のままなんだぜ!
父なのだ。
父が息子に与える夢なのだ。
それが、いま、現代は、まったく、決定的、絶望的に、皆無なのだ――ということを……。
2003.06.24
JIN
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