客観と幻想のあいだで、
世界はどんどんワケわかんなくなっている!

@新国立劇場「涙の谷、銀河の丘」を見て

 ホントはただ、自分が言いたいことをここで言うだけのことなのだ。

 今日、松田正隆脚本、栗山民也演出の公演を見た。
 それは、僕にとって見て楽しめる公演でも、やりたいと思う理想の公演でもなかった。
 なんでもなかった。

 少し前に出た本だが、ピーターブルックの回想録を最近、寝る間のうつつに読んでいる。

「成功と金などは人生の価値ある目的ではないと思えてくると、子供時代に深くしみついていたロマンス感覚が頭をもたげ、美と呼ばれる同じようにあいまいなものを夢中で追い求めるようになっていた」

「私がもっとも憧れていた演出家タイロン・ガスリーが、パリは嫌いでベルファストの荒っぽさのほうがいいと私に言ったとき、なんのことなのか理解するまで何年もかかってしまった。なぜ美よりも荒っぽさなのか。私には不思議に思った」

「ある日、自分は本当にかなり遠いところにいたのだとつくづく思ったことがある。『人生に溺れる』というのが、彼女の言い方だった。『自分の話し方を聞いてごらんなさい。あなたの声の響きで、あなたが人生に溺れていることがわかります』。このイメージは恐かった。どうしてそんなことを言われるのかわからなかった」

 僕自身はいまとても混乱している。
 混乱していることを知っている。
 誰のせいなのか。自分のせいなのか、それとも周囲の環境のせいなのか。それとも世界状勢のせいなのか。そのすべてあろう。
 いま、世界の中でどのようなスタンスで生きるべきなのか、その自信が根本的にないのだ。それは、どのような考えで、どのような芝居をするべきなのか、ということと同じ問題だ。僕にとって。その指針がない。
 もっと言えば、自分の価値観や倫理観や哲学は、ゆるぎなく「在る」けれど、それをどのように現代に接続すればいいのか、まったくわからないのだ。

 ある日、かわいい女の子と知り合いになる。とてもキュートで知的で、自尊心の小さな風船を抱いているかわいい子だ。彼女を口説こうと思う。でも、ダメなのだ、ボクの世界への接続回路がショートしている。完全に断絶している。「人生に溺れている」そういう感じ。

 松田正隆氏は、90年代より一世を風靡した「静かな演劇」の華麗なるホープだ。だが、今回のこの仕事は彼にとって辛い仕事だったのではと思う。というのも、ぜんぜん身の丈にあっていない領域だからだ。
 パンフの解説にはこうある。
「激動の50年間、時に運命に流され、時に運命に抗おうとし、生き方を探り続けた姉弟の軌跡を軸に、戦後日本の歩みが新たな視点から見つめ直される」
 これは、これが真実、実現されるならば、新たな歴史劇の誕生だったはずなのだ。戦争から戦後、そして現代へのニホンの軌跡を紡ぎ出し、洗い出す、一つの視点さえあったならば。現代を肯定するのであれ、否定するのであれ、またその両方であれ。
 しかし、結果はそのいずれでもなかった。

 私小説家には、歴史劇は描けない。

 主観的な印象と、日常の断片だけでは、いまや世界を切り取ることはできなかった。
 まあ、そういう結論である。
 松田正隆、平田オリざ、岩松了などと(それぞれの個性はあれ)、90年代から続いた演劇における文芸的な流れ、扇田昭彦氏の命名である「静かな演劇」も、やがて終焉していくであろうという予感がした。
 というのも、時代が大きく動いているからだ。こういう時には、物語作家は、現代だけを見据えるだけでは不充分で、客観的に、深く過去を見つめ直す思考力が必要だ。あくまでも客観的に、深く。しかし、そのための思考力が「私小説家」にはないのである。

 奇しくも、なんども読んだワルター・ベンヤミンの美しいイメージが今日の朝日の夕刊にあった。

 ベンヤミンはそれを『歴史の天使』と呼んだ。いましも飛び立とうとしているその天使は、顔を過去のほうに向けている。私たちが『出来事の連鎖』を見るのに対して、歴史の天使は瓦礫のうえに瓦礫が積み重なってゆく『ただひとつの破局』を目にする。天使はできれば留まって壊れたものを修復し、死者たちを目覚めさせたいと願う。しかし、『楽園』から吹く風が翼に孕まれて、彼は自分が背中を向けている未来のほうへと、抗しようもなく運ばれてゆく……」

 廃虚となった過去を見つめながら、未来から吹いてくる風にずんずん吹き飛ばれていく天使だ。
 それが(真の)現代の芸術家ではないであろうか。
 それは天使なのだ。人ではない。われわれ芸術家(の端くれ)は、そんな天使にならなければならないのに……。

 ボクらは、この混乱の時代にあって、現代を切り取る力を持たないのではない。ただ、過去を見つめる力と勇気と知性とを持っていないのだ。

 栗山氏の演出もひどかったのだが、せめて、作者が万感の想いを込めて描いた「精霊流し」の明るさと切なさだけは、真実、まごころ込めて描いて欲しかった――。

 

2003.05.15
JIN