「わたしは、ここにいるの?」
山口和子公演『Fairy Talking』を見て。
自分のいる場所について考えるコト。
私はどこから来たの? 今、どこにいるの? (そして、どこへ行くの?)
「山口和子」というのは、集団の名前で、実質は、桐朋学園の演劇科で同級だった、(まだ若き、30前の)女優たちの集まりである。
お手軽に、と言ってしまえば、それまでだが、彼女たちは同窓のよしみで、演劇と関わって生きている自分達をなんとか、どこかへつなぎ止めようという衝動から、このリーディングの会を始めた(ように見えた)。
私たちはどこにいるのだろう?
同窓会というものの面白さは、いつもそんなところにある。
時間は無情に過ぎてゆく。みんな年を取って、変化し、また変化せず、いつも流れの中にいるのだ。
彼女たち自身がそう意識して願ったのか、どうかは知らないが、作品の結果はそういう「同窓会」のような、甘酸っぱい、センチメンタルな、ちょっと他人には受け取りにくい、ごくごくプライベートな世界を作っていた、ようだ。
それも、題材が、女子高校生たちの、ナイーブでみずみずしい感性の世界とくれば、これはもう彼女たちにとって「同窓会」以上のなにものでもない。
もちろん、僕はそういうセンチを完全に否定はしない。
そこに、それぞれが女優として演劇にかかわって生きている、現実の危うさが見隠れし、想像できたから――。
女優として生きてきて、30才を迎えようという直前はけっこう不安定なものなのではないだろうか――。「まだ、形にならない。しかし、ここまで来てしまった!」そんな曖昧なころなのだ。
「ものになるには、女優は30過ぎ。男優は40過ぎ」
そんな提言もまた、彼女たちには、馬耳東風なのであろう。
というわけで、窓の外を行き交う人や車やといっしょに、環境音楽のような、ギャラリーでの、女優たちのドキュメント作品を、僕はけっこう楽しんだ。
jin, 03/03/2002
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