ウズウズ揺れてるエロチズムへ。
reset-N「Visions of Tokyo」を見て。
芝居ってなんだろう?
演劇ともいう。
舞台とか、ステージともいう。
劇、とも言われる。
ウチのオヤジなどはよく「演芸、演芸」と言っていた……。
「おまえはまだ演芸をやっているのか!」と……。
役者ともいう。
俳優ともいう。
芸人とも言われる(言われないか)。
アクターなんて言うこともある。
女優っていうのも、俳優とはまた違うようだ。
「おまえ、役者だなあ〜」と言えばフツーの会話だが、
「おまえ、俳優だなあ〜」とはフツーは言わない……。
この国にはホントにたくさんの「演劇」があります。
神楽、能、狂言、文楽、歌舞伎、新劇、アングラ、小劇場、商業演劇、ミュージカル、宝塚、吉本新喜劇、人形劇に児童劇、それからそれから……。
脚本家の数、演出家の数だけ芝居理論があります。理屈があり、実体があり、空気があり、メソッドがあります。
世界広しといえどもこんな状況の国は、この国だけです。日本語で「演劇」やってる人たちだけです。
それでいて、「演劇」を見る人口は極端に少ない。一部の人々だけ。それも、今いったジャンルごとに専門分野があって、バラバラです。
『新劇』という雑誌がなくなって、『ぴあ』の演劇欄も片隅に追いやられ、『シアターガイド』は出来たけど、『せりふの時代』も出来たけど、「舞台芸術」がどこに向かっているのか、どう社会と切り結んでいるのか、ということを考えて、言語化して、情報化する場所はますます少なくなっている。
いったい、演劇って社会にとって必要なモノなのかしらん?
これがグローバリズムの成果かい?
いいさ、いいさ、それでも「面白い演劇」があれば。
(面白い演劇について書くつもりだったのだ……)
今日、reset-Nを見てきた。
脚本・演出の夏井クンは大学の後輩で、劇作家協会の新人賞もとったし、『せりふの時代』にも戯曲載ったし、新進気鋭という言葉がピッタリ!
でも残念。「面白い演劇」ではなかった。
ドラマがどこにも立体的に立ち上がってこなかった。
「猫のホテル」のほうが10倍面白いし、「大人計画」のほうが100倍面白いぞ。未だに歌舞伎のほうが1000倍面白いんじゃないか!
けっきょく、いろんな演劇の面白さがあるとして、サイテイ必要なのは、「役者」の魅力じゃないかと思う。
そして「役者の魅力」にも360度いろんな方向のものがあるけれど、やっぱり「ウズウズしてる」っていうエロチズムがすべてなんじゃないかしらん? 「心」揺れてるかってコトだよね。そのウズウズに360度いろいろな方向があるってことじゃないかしらん? そこに物語が受胎するんだと思う。
初心者だって素人だって時にはこのエロチズムが出るんだ。もちろん、花のあるスターさんだって出る。でも、芸達者の実力派だからっていつも出るとはかぎらないし、有名な人気俳優だからって舞台でウズウズ来るとはかぎらない。それが、いつどこで来るかは絶対に、だれにも保証できない。(だから、芝居って当たりハズレが多いって言われるけどさ。しようがないよ。同じ公演でも初日と楽日じゃぜんぜん違うんだぜ。そこは運だな)
実は、このウズウズは、その役者個人の実力とはあまりカンケイがない。
そもそも実力なんてものが水商売だから、あってなきがごとくなモノなのだ、とボクは思っている。子どものワークショップの発表会見たって、思わず感動して泣いてしまうコトは多々あるぞ。
重要なのは、そこにかかわる凡ての人のカンケイ性だ。
脚本家や演出家はもちろん、技術スタッフや制作スタッフや、そしてお客サンや、そのウズウズなエロチズムが放出されるその現場に立ち会うすべての人のカンケイ性が重要なのだ。それが芝居を面白くするのだ。
何かに関わろうとする意思=欲望なのだ。
(こんなコトを書いているとホント落ち込んじゃうな。だって、今ってみんな受け身な社会じゃない。情報に対して受け身。世の中のルールに対して受け身。でも演劇は情報じゃないんだよ! ルールでもないんだよ! 演劇ってホントに必要なんだろうか?)
夏井クンはパンフにこんなコトを書いていた。「芸術がみんなにとって大切なものでありますように」って、だったらもっとウズウズしようぜ。というより、ウズウズせざるをえない、ギリギリのところへ追い込まれようよ。右に行くべきか左に行くべきか、迷う心の分かれ道で揺れていようよ。揺れ続けようよ。
それには弱いところもさらけ出さなきゃいけない。自分の肉を切り刻んで人に食わせなきゃいけない。自分の好きなコトばかり喰らいついていると、脳がスポンジ状態になっちゃう!
……と、自分に言い聞かせるのであった。
2002.01.10
JIN

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