サッカーという外来文化
「日本VSスウェーデン戦」を見て


 日本人は「和」が大切だ、と初めて唱えたのは、ほかならぬ聖徳太子。
 17条の憲法、その第1条が「和をもって尊しとなす」である。
 今もって、聖徳太子が人々から崇拝されるのは、彼が、日本という国家の枠組みをはじめて創造したからではないか。

 日本の歴史をひも解くと、日本はいつも強力な外国の制度や文化や宗教の影響と戦いながら、生きてきた。飛鳥時代の仏教の伝来。奈良時代の律令制の導入。それの、日本的堕落的形態としての院政(平安時代)。かな文字の発明。しかし、鈴木大拙に従えば、日本人の霊性(独自の価値観)が、中国文化を経て初めて、自己自身を表現しえたのは、親鸞の「他力本願」によってだという。
 その後、南北朝から室町、安土桃山、江戸へと、「憧れの中国」との関係は保ちながら、日本人は、日本人らしい文化と習慣を作り上げることができるようになっていった。能や狂言、茶道、華道、日本画や彫刻、建築、柔術や剣術など、具体的な作法や身体技法の中に、日本人独自の哲学や思想や宗教を活かすコトができるようになっていった。
 そうして明治維新、文明開化、それから第二次世界大戦を経て、日本は、いったん作り上げた日本的な価値観を捨てて、今度は、ヨーロッパとアメリカの文化を追い掛けることになる。20世紀の混乱。戦後社会――。

 一方、サッカーは、というと、17世紀から始まる、ヨーロッパ各国と植民地との間の、支配するものと支配されるものとの間の長い歴史に根ざしている。
 欧州と南米の強豪国同士の争い、名勝負の裏には、そういう民族的な歴史がある。日本が関わって来なかった世界史の一面だ。
 中世において、日本が中国文化を乗り越えようとしたように、今、南米やアフリカは、サッカーでもってヨーロッパを乗り越えようとしている。
 そういうわけで、南米やアフリカの人々にとって、サッカーは生活の問題だし、アイデンティティーの問題だし、生きる意味そのものである。
 また、ヨーロッパの内部でも、貧しい人々や、人種的に圧迫を受けている人々にとっては、自己主張をしていく手段としてサッカーは生活に根付いている。
 世界中の虐げられた人々にとって、サッカーは文化であり生活であり表現であり、思想であり、哲学であり、宗教なのだ。

 そういう外来のサッカー文化の波に、初めて、日本人は国民単位で飲み込まれようとしているのが、今、つまり、このワールドカップなのではないか。
 それは、そもそも日本人とは関わりのなかった、世界史から起こっている、いわば他人事なのだが、これだけグローバリズムの進んだ現代世界では、無視することなどできない。
 であるなら、いっそ、門外漢の特権でもって、第三の、新しいサッカー文化を提示することができるのではないだろうか? 日本や韓国だけがもち得る、新しいサッカーのスタイル、そういうものを、求めていく可能性が見えれば面白いと思う。

 引いては、そこに、20世紀ぜんぶを賭しても見つけることができなかった、日本的価値、ヨーロッパやアメリカを向こうにまわしての、日本的な独特のスタンス、指針を見出せるのではないか。
 サッカーは一つの文化に過ぎない。
 だが、文化や生活の中にこそ、思想や哲学を表現できる、それが日本人のスタイルなのだから。

 もちろん、まだまだ、これから始まったばかりの、長い道ではあるけれど。

*   *   *

 現在、世界の多くの国民にとって、サッカーとは厳しい現実を乗り越えていくための、想像的な手段だ。
 一方、現在の日本ほど、物質的に恵まれ、人権的な平等感に浸っている国民は少ない。(ほとんど奇蹟のような国民だと思う)

 ――そんな日本人にサッカーという文化が、ホントに必要なんだろうか?

 そういう問題を提示しているのが、金子達仁の「熱病フットボール」というレポートなのだが。
 だったら逆に、日本人が現在抱えている、固有の、ゆがんだ社会問題を、どうサッカーでもって解決していくか、そう考えればいい。
 つまり、それこそ、日本的な価値観の創造、ということじゃないか。

 今回のアルゼンチン代表のオフィシャル・ソングは「島唄」である。
 もちろん、日本開催というつながりがあってのことだろうが、しかし、実際に「島唄」は当地アルゼンチン(や南米)でヒットし、人々から愛されているのだ。
「島唄」は沖縄独特の音階とリズムを取り入れた歌だ。(しかし、それを作った宮沢和史は沖縄の人間ではない。ヤマトンチューの人間だ)
 沖縄が(純粋な)日本か? という議論もあろう。しかし、沖縄(とアイヌ)にこそ、古き日本の生活形態が残っているという議論もある。
 そういう文化が、宮沢クンの手を通して、世界中の人々が愛する普遍的な歌になっていった、ここにも、日本的なものの大きな可能性があるのではないか。
 国家的なイベントや枠組みに頼らずに、日本人は個人個人が国際的な活動の輪(和)を広げていけばいい、そういう意見もある。実際、これまで、日本人は、マスコミでは公にならないような仕方で、そういう活動を世界で進め、それなりの成果を上げてきたのだ。(それを大声で言ってしまうと、NGOの大西サンのように大きな社会問題を引き起こしてしまうのが、悲しいかな、今の日本の現状なのだ。)
 しかし、今、ワールドカップという国家的なイベントを控えて、それから現在の世界情勢を考えて、これからのボクら、日本人の課題は、みんなが「共有できる日本的価値観」を作り上げていくことではないだろうか。

 そんなふうに思うのである。

*   *   *

 で、最後に、今日のゲームの感想から、言うと――。
 トゥルシエという一人のフランス人の、この国で4年間が、さあ、本番に向かうぞと、その心意気を感じたのであった。

 トゥルシエは監督として、完璧な人ではなかった。(多くの人間がそうであるように)経験的に発展途上の人であった。しかし、彼には「理念」というものがあった。上流のフランス人らしい、「人間とはこういうものである」という「信念」があった。その「理念」であれ「信念」であれ、それは、完璧なものではない。経験の具体を前にして、無限に揺さぶられていく。そういうわけで、彼は、この日本の文化を前にして、大きく揺さぶられたにちがいない。その中で、彼は、異物として振るまい、日本人の神経を逆撫でし、日本人を対象化し、自分は日本文化を吸収し、富士山や相撲や日本料理を好きになり、「和」という組織理念に辿りついたのだ。
 それは、まだ、もちろん、完成されていない。

 ただ、もっともっと大きなところへ到達する可能性は秘めている。
(日本的な価値観とは、あたりまえだが、日本人だけで作れるものではないのだから)

 彼は、まったく自分の揺るぎない信念から、代表の23人を選んだのだ。
 このチームを作ったのだ。
 そう信じるに足るものを、今日のテストマッチから確信した。

 一試合、一試合が成長だ。
 われわれの、トゥルシ・エジャパンが、できるだけ、たくさんの試合ができるようにと祈る――。

2002.05.25
JIN