溶けてゆけ、国家なんか……。その1
〜ワールドカップが終わる前に〜

 あれは確か、21世紀を迎えた時の、正月の「朝まで生テレビ」の席上であったろうか、21世紀への進言として、長野知事の田中康夫氏が発したコメントが、「国家はいつか溶けてなくなるだろう」というものだった。
 その時点ですでにボクなどにもその言葉の実質がよくわかるというふうだったのだが、しかし、世界はまだそういう方向へは向かっていない。そういうことがこのワールドカップでよくわかった。

 韓国の、理性を失い肥大した国家幻想の、いまの状態は、ソルトレークのアメリカの焼き直し版にすぎない。思えば、韓国(あるいは韓国の人々)は、ソルトレークでの自国選手への不利な判定には憤慨したものの、アメリカの報復戦争の野蛮さには違和感を感じなかったのではないか? 日本の多くの若者が、アメリカに異常な自我の肥大と、許せない尊大さを感じたほどには――。

 昔、田辺元という哲学者がいた。
 いま、国家という事象を考える時、ボクは彼の哲学をいつも思い出す。
 彼自身の言葉をここに再現することはできないが、彼の哲学によれば、人の生きる世界は3つのレベルに分けられる。
 大きなものから小さなものへ。国家、地域、個人、の3つである。
(田辺自身の言語でいうと、類、種、個ということになる)
 そうして、地域=種というレベルがいちばん具体的な現実の世界ではないか、と彼は、第二次世界対戦の非常のさなかで考えていたのだ。

(国家も、それから個も、幻想にすぎない――)

 地域、という言葉はわかりにくいかもしれないが、それは、つまり、人と人とがきちんと出会える範囲の社会のことだと思う。
 面と向かって話し合ったり、笑い合ったり、見合ったりできる距離にいる人々とのつき合い。ビジネスや、お金で売買したりする関係だけではダメで、もっと深く、複雑な感情を掻き立てられ、また相手にも掻き立てる範囲のつき合いのことだ(あらゆるメディアの発達によって、そこに、さまざまな細かいレベルが生まれたことも事実であるが)。とにかく、もっとも人間にとって現実的で、ホンモノの人間関係の範囲というものがあり、そこで人の内面は作られるのだ。それなくして、個はありえないし、ましてや国家など!
 その範囲から見れば、国家も個もいずれも抽象概念にすぎないし、幻想にすぎないのだと、そういうふうにボクは彼の哲学を信じていて、思い返す。

 たとえば、今回のワールドカップで言えば、来日するまでは、遅れに遅れてハラハラさせられた中津江村の人々が、実際にカメルーンの選手たちと出会ってからは、彼らにゾッコン惚れてしまったようなコト。この出会いこそが人間にとってはいちばん具体的な世界なのである。
 カメルーン色のチューリップハットをかぶって、カメルーンの試合を初めて見たおばあちゃんの言葉が冴えてるじゃないか。
「あの黒んぼさんがあんなに玉けりが上手いとは思わなかったよ」
 おばあちゃんにとっては、握手したり、サインを書いてもらったり、抱きしめられた出会いこそが現実で、彼らがサッカー選手であることなど二の次なのであった!
 それから、村長の、「彼らは偉大な友達です」という言葉には嘘もなければ誇張もない。
 ただただ、彼らは現実の出会いというものに、ぶったまげて、驚いて、嬉しかっただけなのだ。彼らには、中津江村民としての自覚的な「存在」はあっても、開催国日本の「国民」という意識もなければ、なんらサッカーを批評するような「個」というものもない。ただただ、具体的な出会いが現実として大切だったということなのである。

 やはり、なんにつけ、そういうことなのだ。
 もっとも具体的で、現実的で、人の心を良い方へとゆさぶるのは、地域的な出会いなのだ。地域的な出会い、現実的な、抱き合ったり、キスし合ったり、笑い合ったりできるような距離の出会いこそが、人間の基礎なのである。その事実を揺るがせにはできない。
 そう思うと、今回のワールドカップだが、いちばん素敵な出会いをした人々がもっともたくさんの恩恵を賜ったと、そう思えてならない。中津江村だけに限らず、さまざまな場所で、悲喜こもごもの出会いがあったはずで、そこにこそ、ワールドカップを開催した国のメリットがあったのだ、と言おう!
 それらの具体的で現実的な人々の出会いの前には、おそらく、国家どうしの勝ち負けなど二の次でいいのだ。

 さしあたり、そういう確かな立脚点を持たなければ、現在韓国で起こっている現象を、ボクはどうにも冷静に捉えることができない。
 彼らは、真っ赤に染まった群集と化した彼らは、いったい何を求めているのか?

 国家など、幻想にすぎないのだから、いずれ溶けてなくなればいい。
 人々が安心して暮らすための、また人生を楽しむためのルール作りなら、「地域」だけで十分ではないか?

 つづく。

2002.06.22
JIN