自分の居場所はどこにもないと感じること。
〜イタリア戦の中田英寿を(テレビで)見て〜


 僕は心のなかで、ひそかに「距離」について考えていた。

 (僕はなにより中田英寿びいきなので、彼のことを自分のことのように考えてしまうので、別にサッカーのこととか、日本代表のこととか、戦略のとか戦術とかの話ではぜんぜんないです。あらかじめ……)

 で、僕は心のなかで、ひそかに「距離」について考えていた。

 中田英寿はイタリア戦のために日本に帰ってきた。
 このシチュエーションは誰が想像するよりも、中田自身にとってねじくれた状況であったのではないかという気がする。前半の日本の1点目を彼はどんな気持ちで受け止めたのか?
 ところが、誰よりも、彼自身が「(日本に)帰ってきた」というような顔をしていた。「帰ることのできる場所があったのだ」という顔である。
 あんな顔の彼を見たのははじめてのような気がした。
 パルマでもって、彼がいま晒されている現実は、パルマという土地の人々から認められるかどうかという現実であり、はじめて、他者の期待を受け止めたところで仕事をしようとし始めているということのような気がする。いわば、イタリア人になろうと、いやパルマ人になろうという感じなのだ。

 中田はこれまでおのれ自身の欲望=チャレンジ精神のなかでだけ勝負してきた。

 日本人であることを彼は背負ってイタリアに渡ったのではなかった。
 小野や稲本のように、所属のクラブチームから、またそのサポーターからの熱い期待に涙して出掛けたのでもなかった。ただ、おのれ一人の信念にしたがって、当たり前のように、イタリアに渡った、のではないかという気がする。
 彼にとって、顔のない大勢の人間というのは、心を動かす対象ではなかった。そんな抽象的な存在がホントに人を動かす力にはなりえないと彼はずっと堅く信じていたように思う。日本という名前もしかり、マスコミの期待もしかりだ。

 そんな中田がいま、パルマで落ち入っている不調の原因は、なかば具体的であり、なかば抽象的なパルマ人という人々の期待を、背番号10番とともに背負ってしまったところにあるような気がする。
 彼は頂点に祭り上げられて、「ウオー」と吠えて、おもわぬ力を発揮するようなタイプの人ではない。「自分の居場所はどこにもない」と知って、その「自由さ」からパッションを発揮するようなタイプの人なのだ。

 その彼が今度は日本にやってきて、「帰ってきた」というような顔をしていた。

 僕にはそぞろ寒い予感がする。
 そんなことがあっていいのだろうか? 中田は中田でいられるのだろうか?

 彼の居場所はおそらく日本にもイタリアにもないはずなのだ。

 イタリアと日本。
 だから、僕は、「距離」について考える。
 イタリアと日本と、パルマと山梨。中田をめぐる心の旅の「距離」は、後者の方がずっと近いような気がする。
 中田はけっして実家へは帰らない。日本に帰っても、親の所へは帰らない。山梨には帰らないでいる。そういう自分にとって重苦しい類いのものを彼は、パルマで引き受けようとしているのであれば、なにか道は開けるような気がするし、また難しいような気もする。願わくば、パルマが彼を見捨てないようにと僕は思わず願ってしまう。

 それとも、すべての町はいづこも相対的で、どこにも自分の居場所はないとさらに強い確信にいたるのだろうか?
 永遠の旅人?

(相手がイタリアだったということもあるかもしれない。今日の試合では、味方の日本選手より、よほど、敵のイタリアの選手の方に近いノリを感じて、ひとり奇妙なポジションでサッカーをしていたけれど、それは、当たり前だということでなく、そんな場所に中田という人間は自分を置きたがるのだと思う。そして、同時にイタリア人も、自分とは違うのだと知って、奇妙にねじくれ曲がったところにさらに自分を見い出していくのだ。試合後の彼のさっぱりとした笑顔は、僕にはそうも読み取れる)

 創造的な仕事は、「距離」から生まれる、と人はいう。どうやらそうらしい。
 母親を受け入れ入ることと、母親を否定することとが、同じであるような地点へ。
 世界のどこにも僕の居場所がない。だから、自由だ、とそういえる地点へ。

 中田を見ていると、いつも、そんなことを考えてしまうのであった。

2001.11.07
JIN