〜トヨタカップを見て〜 延長戦の末に負けた、10番を背負ったリケルメの涙に感動しながら、ボクはテレビを消した……。 ブチッ! 悔しかった……。 結局、問題は、ルールということだ。 ボカジュニアーズのアルゼンチンチン選手のプレーをセコイとか、こすっからいとかいうのは簡単だ。だが、彼らのやり方が、後半以降は主審の判断をも変えていたのは確かだ。 サッカーというのは、けっして完成しないスポーツなのだ。 なにが正しくて、なにが悪いのか……? 前半、デルガドを退場にさせた審判の言語は、ヨーロッパ人の、それもデンマーク人の公正な彼特有の言語的な判断だったろう……。 今、世界には絶対的な言語などというものはないのだ。 彼らは試合には負けたが、彼らが本当に戦ったのは、自分達を取り巻く、不利益なルールだ。南米の貧困と、不理解と、軽蔑に対する世界の不当なルールなのだ。彼らのパッションは、けっしてバイエルンの多国籍軍チームにはない、透徹したパッションだった。 ボクはただその気持ちに感動していた。 なにが正しくて、なにが悪いのか……? 世界にはたくさんのルールがあるのだ。 後半開始前に、ロザリオにキスしたリケルメの信仰は、けっしてヨーロッパ的な言語でない。ヨーロッパ人が忘れてしまったキリストへの言語だ。信仰だ。その技と力で世界に切り開いてゆけるルールなのだ……。 サッカーとは言語である。 とすれば、日本語のサッカーというものもあるはずだが……? 少なくとも中田のサッカーはいままでも、そしてこれからも、日本語ではないし、またイタリア語でもないのだ。まあ、それはいい……。 各国語の戦い、という点からいっても、今日のトヨタ杯を見て、がぜんワールドカップが楽しみになってきた! と、いまのボクにはそれしか言えない……。 jin
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