「物語の射程距離」
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二兎社「日暮町風土記」を見て。

 テレビのニュースでは毎日のように、世界中から日本全国からさまざまな風景や人々の顔が映像となり音声となり届けられているが、もちろん「行ってみなきゃわからないコト」はたくさんある。「やってみなきゃわからないコト」「その場にいなきゃ伝わらないコト」はたくさんある……。
 そういうものを「空間性」とボクはよぼう。そんな「空間性」が舞台表現の面白さのエッセンスであることはまちがいない。
 だから、俳優というのは「やってみなきゃ理解しない」「頭で考えたってわからない」「動く」「喋る」「感じる」コトからすべてをスタートさせて、ひとりで舞台に立つノダ。

 難しいのは「体験できない状況」を舞台化するときだ。
 チェーホフなどはその「難しい芝居」の際たるものである。「19世紀末のロシア」などをどう体験しろというのか? そういう場合は何かを翻案しなければならないのだが、(言葉はもちろんのこと、場所や時代設定を翻案するか、人間関係の構造を翻案するか、などなど)それこそ演出にかかっている。つまり「距離」をどう乗り越えるか、あるいは引き寄せるか? ということ……。

 さて、二兎社であった。
 永井愛サンの作品は本で読んだことがあっただけで、生の舞台を見るのは初めてであった。テレビでもみたことがなかった。しかし、テレビで見たという友人があまりに面白かったというので、それから、先日お会いした永井サンご本人の雰囲気がとてもステキだったので、とても期待して見に出かけたのだった。

 しかし、いま言ったような「距離」の問題が作品の成功を拒んでいた、というとまわりくどい言い方になるだろうか。

 永井サンは、如月小春と同じ時代を駆け抜けた同じ女性の劇作家であるが、捉えていたリアリティーの質も、その表現方法も如月とはずいぶんと違う物語作家である(と、ご本人も言われている)。が、これまで、一つだけ共通していた点は「都市(=東京)の人間」を描くコトであったのではないか、と思う。
 都会という日常的な場所を物語発生装置の磁場としてその延長線上にあらわれる人間カンケイをリアルに、喜劇的に描いてきた。テレビ的な標準語の物語と言えるだろうか。
 そんな永井サンが、今回は愛媛の片田舎を舞台に選んだ。選んでしまった! 
 江戸時代に建てられた無骨な木造建築の「家」と、老舗の和菓子屋とみかん農家が主役である。そこには都市は存在しないかといえば、そんなことはない。今や東京へのあこがれ、匂い、志向性のない地域など日本全国どこにもないからだ。つまり、永井サンはこの芝居で、自分のホームグラウンドである東京を遠くから眺めるというポジションにスタンスをとったのである。つまり「距離」をとったのである。

 現在、日本全国の地方社会が「東京=中央」に対してもっている問題を一手に引き受けてしまったのだ。
 それがとても難しい問題を引き起こしたのだと思う。

 当たり前だが、稽古は東京で行う。しかし、舞台のリアリティーはここ=東京ではない遠いところにある。俳優も演出家も、その遠いところへでかけてから改めてこの「東京」を顧みなければならないのだ。そういったことがいちいち舞台上のリアリティーの実現に困難を突き付ける。次には装置である。小道具である。道具が古き時代のリアリティーをかもし出すことは、見ている観客以上に、それを手にする俳優にとって重要である。そんなことにも細心の配慮をしなければならない。

 こまごまとした物質的な条件が、しだいに大きな心理的な障害となって、舞台表現を制限していったのだろうと思う。

 しかし永井サンは別段不用意にそうした条件を選んだのではない。
 「時代を描く」ための物語の射程距離をより大きいところに設定しようとしたのである。
 これまでの都会的で近代的な切り口に、歴史的で重厚な意味合いを導入しようとしたのだ――と思う。
「このまんまでいいのか?」という声をすこしだけ大きく、深くしようと試みたのである。

 これを失敗作というのはたやすい。
 しかし、ここから永井愛サンのさらなる飛躍が始まるのだろうと思うのである。自我を超えてだれよりも、他者を大きく受け入れる能力のある人だから。自分の知らない世界の秘密をどんどん暴いていく、発見していく人だと思うからである。
 そういう大人は滅多にいない……。

  jin
27/12/2001