「誠実さと美しさ」
――
ピーター・ブルック演出『ハムレットの悲劇』を見て。

 2001年6月30日(土)ソアレ
 おお、約1か月ぶりの観劇……。

 この芝居を見るために、ひと月、浪費を自粛していたというわけではないが、とはいえ、なにしろ、チケット9500円。これが高いか安いかは、人それぞれに任せよう。パリやロンドンなら、15£〜20£(3000〜4000円)だろう。それだけ、まだまだヨーロッパは遠いということなのかもしれない。いろんな意味でね。
 ボク自身は高いとは思わないけど、しかし、もう一度見たいと思ってもなかなかそれはできない、という点だけが悔しいかな……。

 で、ピーター・ブルックだ。
 セゾン劇場での『桜の園』以来になる。伝説の『夏の夜の夢』はむろん、『マハーバーラタ』すら見れなかった後で、ここ数年の世田谷パブリックシアターでの公演は、気になりながらも気持ちと行動が一致せずに見過ごしてきたけれど、今回はかなり期待していた。心の底から、面白い芝居がみたいと飢えていたから……。

 いま一番見たい芝居だったのだ……。

 ポスターを見た時点で「これは今、見るべき芝居だ」という直感が動いた。
 真っ赤な四角いカーペット、その大きさは3間四方でちょうど能舞台と同じ。
 もちろん余分な舞台装置は一切ない。「何もない空間」。演劇、というより見世物の原点に帰った、「シンプル・イズ・ベスト」な舞台。自由と様式の調和。省略と過剰のテンポ感。
 今、僕が抱えている問題、やりたいことがここに集約されている気がした。
 そして、『ハムレット』だ……。

 で、実際、見た感想は……?

 この興奮を冷静に語るために、ハムレットからの引用でもって代弁してみよう……。
 (以下、3幕1場より。焼付け刃的に私訳を付す。Ham.はハムレット、Oph.はフィーリア)

Ham.
Ha, ha! are you honest?
(ハハハ! きみは誠実なの……?)

Oph.
My lord?
(なんですって……?)

Ham.
Are you fair?
(自分に自信ある……?)

Oph.
What means your lordship?
(なにが言いたいのか、あたしには……。)

Ham.
That if you be honest and fair, your honesty should admit no
discourse to your beauty.
(つまりさ、もしきみが誠実で、自分に自信があるんなら、きみのその誠実さは、きみの美しさを束縛するにちがいないんだ……。)

Oph.
Could beauty, my lord, have better commerce than with honesty?
(美しければ……、そうよ、誠実だからって売れるとはかぎらないもの……。)

Ham.
Ay, truly; for the power of beauty will sooner transform
honesty from what it is to a bawd than the force of honesty can
translate beauty into his likeness: this was sometime a paradox,
but now the time gives it proof. I did love you once.
(そうさ……。美しいってだけで、きみの誠実は、すぐにも売春婦に変わっちまうのさ。「誠実な美しさ」なんてものはとうてい追っつかない。そこがパラドックスだ……。でもいま、それが証明された……。きみを愛してたよ……。)

Oph.
Indeed, my lord, you made me believe so.
(ええ、そう。そう信じたわ、あたし……。)

Ham.
You should not have believ'd me; for virtue cannot so
inoculate our old stock but we shall relish of it: I loved you
not.
(それがまちがいだった……。どんな美徳も、朽ちた幹にはもう接ぎ木はできない。それがボクらの関係だ……。きみを愛してなんかいなかったんだ……。)

 問題はhonestyという言葉だ。誠実さ。
 ボクもずいぶん意訳してるけど、従来の翻訳はもっとひどいんだよ、honestyを貞淑だなんて! 女の美しさと貞淑さ。この2元論でもって、頭で割り切れるように処理しちまってる。(そんなのぜんぜんパラドックスじゃないじゃないか!)
 ためしに白水社の小田島さんの訳も引用してみる。

ハムレット ハッ、ハッ。おまえは貞淑か?

オフィーリア え?

ハムレット おまえは美しいか?

オフィーリア なぜそのような?

ハムレット なに、おまえが貞淑でもあり、美しくもあるというなら、その貞淑は美しさをあまり親しく近づけぬがいいと思ってな。

オフィーリア 美しさには貞淑こそもっとも似つかわしいのでは?

ハムレット いや、そうではない、美しさは貞淑をたちまち売女に変える、貞淑のほうで美しさを貞女に変えようとしても力がおよばないのだ。このことば、以前は逆説であったが、いまでは時勢がりっぱな実例を見せてくれる。以前はおれもおまえを愛していた。

オフィーリア そのように、ハムレット様、信じさせてくださいました。

ハムレット 信じてはならなかったのだ。もとの木がいやしければ、どんな美徳を接ぎ木しようとむだだ、いやしい花しか咲きはせぬ。もともとおまえを愛してはいなかった。

 まあ、ボクのもかなり意訳してる(身分関係を無視している)としても、小田島さんもずいぶん無理して、つじつまを合わせるように訳しているのがわかると思う。(下線の部分が、つじつまを合わせるために、小田島さんが意訳していると、ボクが思う部分)。
 だって、原文は論理がぜんぜん白黒はっきりしていない。割り切れてないのに……。
 この割り切れなさは、舞台の上の俳優の内側でしか精算できないコトなのに……、ああ、これまで日本の翻訳家は、机の上で割り切れる「お話」に作り替えていたのだ。それが従来の日本のシェークスピアだったんだ! ということがわかると思う……。

 たとえば、ここ……。

this was sometime a paradox,
but now the time gives it proof.

 これを小田島さんは、

このことば、以前は逆説であったが、いまでは時勢がりっぱな実例を見せてくれる。

 と、訳していて、つまり、自分の母親(王妃)が、前王の弟(今の王)と契ったという物語上の「お話」とつじつまをあわせて、「貞淑は地に落ちた」だから、'the time'を「時勢」と訳しているわけ。(それ自体は間違ってないのだけれど)。
 でもって、その論理のために、'sometime'を「以前」というふうに、変えちゃってるわけだ。
 でも、でもでも、実際に舞台で上演された時には、この'the time'は、「お話」のなかの「デンマークの時勢」というだけでなくて、目の前の舞台上の「時間」のことも指しているんだ、ってことを翻訳者はわからないんだよね……。むしろ、観客にとってはそっち(舞台上)のほうがリアルだってことを……。

 つまり、paradoxの中味としての「honestyとはなにか」ってことだけれども……。

 では、もう一度、最初の引用を、「ハムレット」という名の俳優と、「オフィーリア」という名の女優の会話として読んでみてほしい……。

 すると、ほらね、わかるでしょ……。
 つまり、ここでハムレットは、オフィーリア(を演じている俳優)の演技について話しているのだとも取れるし、また、そのほうが観客にはリアルだというコト。
 舞台俳優にとって大切なもの、それが「誠実さ」と「美しさ」なのだ。
 この2つは、2つとして、どちらも舞台俳優にとって譲れないばかりか、簡単には両立できないパラドックスだ。(これについては
このエッセイを参照してください)。俳優は「美しく」なければもちろん話にならないが、けれども「誠実さ」がなければ観客に受け入れられないだろう。とはいえ、「誠実」だからといって、売れるとは限らない……。

 「誠実さ」と「美しさ」。
 この2つが両立している舞台の奇跡を、ボクは見たかった……。
 それが、ピーター・ブルックという演出家のマジックなのだ……。
 舞台上で俳優が演技すること、それ自体が「物語」であるということ。それこそ、舞台芸術の「秘密」であり、「核心」であるということ。それを教えてくれたのが『なにもない空間』という本であった。
 そして、その「奇蹟」をこの目で見たのだ……。

 つづく……

 jin
15/05/2001