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チュニジアの歌姫 Die Sangerin in Tunesien


テオ ご挨拶が遅れました。初めまして。わたしがテオです。テオ・ムルージ。生まれたのは、ギリシャのスパルタですが、五つの時に、イタリアのパレルモに引っ越しまして、八つの時には、ナポリからジェノバ、それからはもう、リボルノ、サッサリ、フランスに渡ってマルセイユと、地中海をアッチだコッチだ、親父が海の仕事をしていたものですからね。それで……

マリア テオ!誰がここであんたの半生を語れって言った?

テオ ハ、ハ、ハ(と、笑って)。まあ、そんなわけで。よろしく。(と、両手でKの手を握る)

K ああ、いや……

テオ これでよし、と(と、手を離し)。さあ、頑張るぞ。今日からまた、テオ・ムルージの新しい人生が始まるんだ!

  Kは、手のやり場がなくて……
  暗くなる


 K ……トイレに立つのも面倒で、わたしはじっと、まるで冬眠中の熊みたいに、ベッドの中で丸くなってったんだ、幾日も。そう、起きてるんだか眠ってるんだが分からないような、そんな文字通りの夢うつつのなかで、あのマルグリットの、ラジオから流れる、「乙女の泉」を聞いたんだ。他の歌手のカバーでは何度も聞いたことはあったが、マルグリットの歌は今まで聞いてたものとはまるで違ってた。総毛立つって言うのか、思わず身震いがしたよ。活躍してた当時は、天使の歌声なんて言われていたらしいが、この軽薄さはただごとじゃない、これは悪魔の歌声だと、わたしは思った。なんだろう? 自分の軽薄さを許されたような気がしたのかな。あんなノー天気な歌なのに、身震いしながら泣いてしまったよ。おまけに、これも分からないんだが、妙に懐かしい気持ちになって……。本当は映画なんてどうでもよかったんだ。ただ無性に、昔、あんな歌を歌ってたマルグリット・ユニックがいまどうしているのか、それを自分の目で確かめたくて、わざわざこんなチュニジアまで……

ナディーヌ それで、どうだったの、実際に会って……?


マルグリット 遅いわ。すぐ来てって言ったはずよ。

ダーク 急患があったんだ。驚いた。あんな患者は初めてだよ。犬が舌を噛み切ったんだ。犬がだよ、自分で自分の舌をね、ガブッと。相当力を入れないと、舌なんて噛み切れないはずなんだが……

マルグリット なにか辛いことがあったのよ、きっと。

ダーク まさか……。きみ、それ……!

マルグリット 大丈夫よ。お酒じゃないわ。

ダーク ……なにかあったのかい?

マルグリット なにもないわ。

ダーク そう。ならいいんだが……


ダーク 酒と女と歌を愛さぬ者は、って言葉、知ってるかい?

オワール さあ。

ダーク 酒と女と歌を愛さぬ者は、生涯の痴れ者。その哀れな痴れ者、大バカ者がここにいる。酒は飲めない、女は分からない、歌を歌えば笑われる……。退屈な男だよ。

オワール 女と歌と酒瓶に囲まれた日々を暮らしていたからと言って、必ずしもそいつが利口だとは限らない。この俺がいい例だ。フン……(と、苦笑する)。

ダーク なんだよ。

オワール ああ、いや……

ダーク 思い出し笑いかい?


マリア 愛してるんです。

ダーク 誰を?

マリア 先生、あなたを。

ダーク わたしを?

マリア そうです。

ダーク 誰が?

マリア わたしが。

ダーク きみがわたしを!?

マリア だからって、愛してくれとは云いません。いいんです。娼婦かなにかのように思っていただいて。だから、だから、わたしを……!

ダーク よせ、やめたまえ。(と、逃げる)

マリア 先生!

ダーク 今夜はなんて夜だろう! 月の軌道でも狂ったのか、いったい誰のせいなのか、誰も彼もが、みんなおかしい!

  暗くなる。


K さっきも話したように、今日がリミットなんだ。きみがなんとかしてくれないと……

マルグリット 分かってるわ。オワール、どういうことなの、理由を聞かせて。

ダーク その新聞を見れば分かるよ。

K 新聞新聞って、まさかカール・フレッシュが人を殺したなんて書いてあるわけじゃないんだろ。

ダーク その逆だよ。

K その逆?

ダーク カール・フレッシュは昨日、自宅前で殺されたんだ。


 K いや、僕は確かにきみを愛してる。でも、それをいったいどうやって伝えたらいいのか。愛してる、愛してる、愛してる、ああ、こんな言葉がなんになる! 言えばいうほど、きみはどんどん遠くなるんだ。

ナディーヌ カール、わたしも震えてる。さっきから、ドアの向こうであなたの話を聞いていた時からずっと。震えてる。まだ震えてる。わたしもあなたを愛してるわ。ここで初めて会った時から、あなたに会うとなんだかとてもドキドキしたわ。あなたが母と親しそうにしていると、それがとても悔しくて。嫉妬よ、そう嫉妬。でもそれは、あなたがわたしから母を奪おうとしているからなのか、わたしという娘がいながら、母があなたに首ったけになっているからなのか、わたしにはよく分からなかった。それが、昨日、港であなたと会って、そして、行き交う船を見ながら、あなたがあの映画の話を聞かせてくれた時に、わたしはあなたを愛していることが分かったの。ギリシャの監督、アンゲロプロスの「霧の中の風景」。あの現実にはいもしない幻の父親に会うために、国境を越える幼い姉と弟が、あなたの話を聞いているうち、なんだかわたしとあなたのように思えてきたの。

撮影:片桐久文 / (c)2000 labo!, all right reserved

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