Chronology / volume1 / photo gallery


ワーニャおじさん Ancle Vania


夏の夕暮れ時、薄暮の青い光が室内を満たそうとしている。

マリーナ (お茶を差し出して)さあ、どうぞ。

アーストロフ (受け取って)特に欲しいってわけでもないんだけど……。

マリーナ どうせウォッカが飲みたいんでしょう?

アーストロフ いや。いい。飲まないことにしてるんだ。……今日も蒸し暑かったな。

ねえ、バアヤ、僕らもぅ何年になるかな、知り合って?

マリーナ 何年って、そんなあなた。……うん、そうだね。あんたがこの土地にやってきた頃は、まだソーニャの母親の、ヴェーラが生きてた……、生きてた時分に、あんたはふた冬ここへ遊びに来てる。……てことはヤレヤレ、もう11年も経ったんだね……


アーストロフ まだしばらくいるつもりなんだ?

マリーナ やれやれ。

ワーニャ 百年ぐらいね、ここに腰を落ち着けることにしたらしいよ。

マリーナ ホラ、いまだって、すべて万端整ってるっていうのに。

ワーニャ 来た来た、心配しなくていいよ。

音楽。セレブリャーコフ、エレーナ、テレーギン、ソーニャが散歩の帰り、外から帰ってくる。部屋に入ってきて、音楽、消える。


ワーニャ 行っちゃった。

風が止まる。

10年前、僕は姉さんのところでよくあの人に会ってたんです。あの人が17で、僕が37。なぜあの時に、あの人と恋に落ちて、結婚を求めなかったんだろう。きっと簡単だったのに。そうすれば、いまは僕の奥さんだったかもしれない……。そう、それで、いまごろこの嵐で目を覚まして、ブルブル震えるあの人を抱きしめながら、「大丈夫、僕がここにいるよ」てささやいてあげてる……、んだったらいいなア。いいなア。アハハハ。しあわせだなア……。アレ? ちょっとまてよ、いつのまに僕はこんなにトシ喰ったんだ? まぜあの人は僕のことがわからないんだ? ……あのわかったような物の言い方、浅はかな考え方、この世が滅びるなんて馬鹿げた、くだらない思い込み……、どれもこれもぜんぜん僕の好みじゃない!


ワーニャ からむなよ、このオヤジが。

アーストロフ なんだよ……。うん。まあな白状すれば、僕もオヤジだ。ホラ、こんな酔っぱらい。へへへ……。たまにはこんなふうに酔うことに決めてるんだ。酔うと気が大きくなる、大胆になる、なにがどうなったって構うもんかって気分になって、どんな手術だって難なくこなしちまう。それで途方もない夢を描くんだ。……そんなとき、俺はもう変わり者なんかじゃない。いいか、俺は人類の未来のための、偉大な事業に取り組んでいるんだ。そこには特別な宇宙理論がある、そこでは俺たちみんな、微生物みたいにちっぽけな、情けない生き物に過ぎない! ……ワッフル、続けろよ!

テレーギン そりゃ弾いてあげたいよ。けどわかるだろ、みんな寝てるんだから。

アーストロフ 弾けよ、頼んでるんだから。


アーストロフ だれもいないから正直いうけど、僕だったらこんな家にはひと月といられないよ。あの空気に息が詰まる。お父さんは本と痛風で頭がいっぱいだし、ワーニャおじさんは暗いし……、それに、あなたの義理のお母さん……

ソーニャ あの人がどうしたの?

アーストロフ ……あの人はきれいだ。否定はしない。でもなにもしていない。ただ寝て、食べて、散歩して、まわりの世話になってるだけだ。ちがうかい? 働かない生活になんの意味がある?


ふたり、交互に飲み、ロウソクの炎を見つめる。

ソーニャ ずっと前からこうしたいって思ってたの。(と、泣いて)でもなんだか恥ずかしくて……。

エレーナ どうしたの?

ソーニャ いいの、理由はないの。

エレーナ ねえ、いいのよ、もういいの……(と、つられて泣いて)変な生き物ね、人間って……

あなたは、私がなにか下心があって、お父さんと結婚したんだって思ってて、それで許せなかったんでしょう……。でもね、私はあの人が好きで結婚したの。あの人がインテリで、有名人で夢中になっちゃったの。……そんなもの、ほんとうの愛じゃなかったけど、作り物だったけど、あの頃はそう思えた。そんなの誰のせいでもないでしょう? 


ソーニャ ……ダメなの、それじゃ。くるしいの。神様、どうかお願いって、一晩じゅう祈っても、やっぱりまた、あの人のそばで目を見てるだけ……。もうバカみたいなの。見栄もないし、自分を抑える力もないし……、ゆうべはおじさんにも話して、もうウチの人たちみんな知ってるのに……

エレーナ かれは?

ソーニャ 気がついてないの。

エレーナ 変ねえ。……ねえ、じゃあ、こうしようか? 私から彼に聞いてみるの、それとなく……

間。

このままずっと中途半端なままでいたいの?


ワーニャ なんだって? もう一度言ってくれ。

セレブリャーコフ ですから適当な有価証券を購入し、残った金でフィンランドに別荘を……

ワーニャ フィンランドじゃなくて、その前!

セレブリャーコフ そのためにはなんとしても、この屋敷を売らねばなりません。

ワーニャ 屋敷を売る? なるほど、それでその、あなたの名案では、僕は、年寄りの母親とソーニャとどこへ行けっていうんです?

セレブリャーコフ それはまたいずれ相談しようじゃないか。いっぺんになにもかもは話せんだろう。

ワーニャ そんなバカな? 僕はいままで、この屋敷も土地もソーニャの名義だと思ってた。これは父さんが、結婚の持参金代わりに妹に買ってやったものだと。それで、妹からそっくりそのまま、ソーニャに譲られたはずだと……


ソーニャ みんな行っちゃった……。さあ、おじさん、始めましょう。

ワーニャ 仕事仕事。

ソーニャ ふたりしてここに座るなんて久しぶりね。

と、テーブルのランプをつけてしばらくボーッして、

でも行っちゃうと淋しいものね……。(と、帳簿をめくり)さあ、まずはおじさん、請求書の整理、もうほったらかしだったんだから。今日もどこからか請求が来てたはず、いい? それをやってる間に私はこっち……

ワーニャ 請求書か……、ええっと……

静寂の中、テレーギンのつま弾くギターの音と、コオロギの声。

マリーナ (あくびをする)

ミハイル 静かだ……、帰りたくないな。


ワーニャ くるしんだ、どうにもならない……ソーニャ。

ソーニャ でも、どうしようもないでしょ、生きていかなきゃ……

生きていかなきゃ、おじさん。長い長い毎日のくり返しを、退屈な夜を生きていかなきゃ。つまらないことことを辛抱強くガマンして、みんなのために働かなきゃ。いまも。トシとってからも。休みなく。それで、その時が来たら死んじゃうの。素直に。そしたら向こうの世界から、お墓ン中から言ってやろう! ガマンしたんだぞー! いっぱい泣いたんだぞー! ひどい人生だったぞー!って。きっと神さまが聞いていてくれる。そのとき、おじさん、初めて私たちにもわかるの、人生は輝いてたんだって、きれいだったんだって、愛してたんだって……。それでやっと楽になって、くるしかったこともみんな許せて……、ホットするの……、きっとそう、おじさん、私そう思ってるの、ぜったいそうなの……

撮影:片桐久文 / (c)2000 labo!, all right reserved

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